山梨県伝説講座 〇金ケ嶽の薪左衛門
『裏見寒話』「追加」(野田成方編)より、一部加筆
逸見筋金ケ嶽の深山に新左衛門と云異人あり。何時の頃よりか此山中に住み、山嶽を回り、全休鬼形に化して風雨雷鳴を起す。農家渠か怒りを恐れて此名を付しと云。一読に、一年信州諏訪の温泉に、甲斐より來りて入浴するものあり。余の入浴の人と睦まじく語る一人有、其姓名を問へば金ヶ嶽の新左衛門と答ふ。山犬の類にして人に交る事なし。客戯れにも鬼蓄に名を名乗る事なかれ。また答へて云。我敷百年金ヶ嶽の嶺に住む。
天然と飛行自在にして、風雨・雷電を起し、平日天狗と交りて魔術に通徹する故に、怒ろ時は鬼形に変して、見る人死に至らしめ、和する時は人躰に化して交り結ぶ。所謂、荏草の孫右衛門の如きは、術未だ至らずして自然の
蟻化をなす能はず。猛獣・蛇蝎(さそり)をはじめ我は恐るゝ者なしと。其詞未だ終らざるに、忽撚として焔の丸飛來りて浴室の軒に止る。新左衛門笑うていふ、是白猿といふもの也。良もすれば我共魔威を争ふ。白猿は猿五百年を経て獅々となり、千年を経て自猿と成る。叉、天狗と等しく猛悪無双にして、我慢心に誇らんとて如斯の怪異をなす。併恐るゝに足らずと。笑ふこと常人に異ならすと。