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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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名醫徳本の奇事  閑憲瑣談後編(佐々木高貞)

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名醫徳本の奇事  閑憲瑣談後編(佐々木高貞)
 世に名高き甲斐の徳本は、和漢古今に珍らしき恬澹の人なり。本性は長田氏、知足斎と号し、三河州大浜村の人、其先祖を知る者なく、不レ詳所レ出 。勢利を欽ずして、四方に周遊し、去就任意いさゝかも諛なし。
大永享禄の頃(1521~1532)は甲斐の州に遊び、醫道を以て武田信虎の家に為レ客。抑々徳本翁の醫術は、即効を専らとし、其療治いさゝか烈しきに似たり。然ば病に依って峻剤毒薬機宣不レ誤、攻撃瞑眩不レ避世諠 、(これは病気の様體によっては、峻しき薬を用ひ、毒を服せ、病を強く攻撃、瞑眩てもかまわず、世の人々が諠しくいっても不レ避、存分に療治する事なり)
 富貴なる輩は、俗諺の如く古方家と忌恐れて信ぜず。却って山野僕質の民に尊信せられ、殊に貧しきを憐みて、療養を信切にし、居所の悪敷きを厭わず。
天文年中(1532~1555)には甲州を去りて、信濃国諏訪郡東掘村に住し、天正の乱に武田氏亡て後、再び甲州に還り、自ら草廬を構、號て茅庵といふ。他に出る時、頸に薬袋を掲て、牛の背に跨り、彼薬入の表に一服十八銭と書付たり。富貴を顧みず、貧賤を嫌わず、偶々権家の招きに応じて、病を治し効ありても、薬の價を取事十八銭に過ぎず。盖世の中の醫の勢利に赴き、慾に務むる者を折く。於此翁の清情なる事、十方に聽へ、漸々に諸州の領主に召るゝ事すくなからず。其頃或諸侯何某の君病痾ましましけるが、其臣下兼て徳本の良醫なる事を知らるれば、則徳本翁の診治を伝達し奉らる。因って命じて翁を召さる。徳本翁此時に百十有餘才、例の如く頸に袋を掛、牛に踞、ゆふゆふと東都に到る。厳々廣々として尊むべき錦殿に、麁服を不レ耻登り、一診を許されて後、便峻き劑欲レ上衆醫其麁忽を論じて不レ背、時に徳本翁は少しも憚らず、衆醫に対して其可否も辨ず。
 其君又戦国を経玉ひし勇壮の仁君、聴明にして疑念ましますれば、決断速かに翁の良醫なる事を信じ玉ひ、薬を調進なさしめられ、御服薬数日ならずして、功を奏し、御全快ましましければ、賞を賜ふ事尤も厚し。されども徳本翁は、固く辞し奉り之を不レ受、帰るに及んで薬の價一服十八銭の定めを以て政府に乞請瓢然として立去ぬ。於レ是翁の聲名天下に高く、是を慕ふて門人となる者数十人、其中にしも馬場徳寛、今井徳山の二人、殊更に醫業を励み、翁の禁方を受たりとぞ。猶翁の醫療に付て、古今希代の妙説あり。ことごとく次編に記す。
 徳本傳の再記には、於竹大日如来の因縁等、希代の話ありて面白し。
 絵(省略)

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