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武田騎馬隊は、戦国最強だったというのはガセ

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武田騎馬隊は、戦国最強だったというのはガセ
 『その歴史常識には裏がある』歴史の謎研究会編 一部加筆
 
 映画では、戦国時代の合戦で、多数の騎馬武者が、いっせいに波状攻撃をしかける場面がよく描かれる。その騎馬隊のなかでも、武田騎馬隊は最強だったといわれる。
 しかし、戦国時代に、映画に描かれるような騎馬軍団は存在しなかった。
 現代人は、馬というとサラブレッドを思い浮かべるし、時代劇に登場するのも、そういう馬たちである。しかし、当時の馬は、ポニーのように小型馬。甲冑をつけた武士を乗せて、長期戦に耐えることはできなかった。
 実際、武田家の軍法を解説した『甲陽軍艦』には、一〇〇〇人ほどの一団のなかで、馬に乗ったのはせいぜい七、八人。残りは槍で攻撃したと書いてある。馬に乗っていたのは幹部クラスで、歩兵に指示を出していた。
また、馬上から弓矢で射るのは、この時代から四〇〇年以上も前の源平時代の戦法で、戦国時代は、もっぱら槍の戦いだった。身分の高い武士も、馬を従者に預け、槍をふるうことが多かった。
もちろん、騎馬武者同士の一騎打ちもあったが、二太刀、三太刀を交え、両者の腕が互角とわかると、彼らは馬を下りて戦った。
 結局、武田騎馬隊とは、武田軍が強かったため、後世に創作されたフィクションなのである。
 ちなみに武田軍の強さの秘密は、緻密きわまる作戦と用兵にあった。一説には、山本勘助という名軍師がいたというが、実際には信玄自身が作戦を組み立てていたようだ。何人かの戦上手の意見に耳を傾けたうえで、自軍と敵軍の兵力を冷静に読んで作戦を立てたのだ。
なお、信玄が得意とした作戦は、おとりを使って敵を分散させ、少数になった敵を個別に叩くという戦法だった。

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