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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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日本の良妻賢母 松下禅尼 北條時頼の母

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日本の良妻賢母 松下禅尼 北條時頼の母
『歴史読本』日本の良妻賢母「生きた女性人物事典」一部加筆
 
安達景盛を父に持ち北條時政と結婚。息子の執権北条時頼に質素倹約を通じて武家政治の核心を教えた賢き女性。
 
鎌倉幕府は無駄を省いた小さな政府であった。執権の北条一族からは、政治手腕に長けた人物が出ている。その典型的な人物が北条時頼だろう。三十歳の若さで隠居し、執権職を一族の長時に譲ったが、時頼は引退後も実質的な幕政の最高指導者として辣腕を奮い、北条一族による得宗専制政治体勢を確立した。
時頼の名は謡曲『鉢の木』によって知られている。僧形となった時頼が、上野国佐野で雪に降りこめられ、貧しげな家に宿を求めた。主は秘蔵の鉢植えを薪にして暖を取り、旅僧をもてなした。いわば水戸黄門の原話となるようなエピソードだが、兼好法師の『徒然草』にも、ある晩、時頼に呼び出された平宣時(ノリトキ)は「独りで酒を飲むのも退屈なので付き合ってくれ」と言われ、台所の棚の小鉢についていた干からびた味噌を肴に、しみじみ酒を飲み交わしたというエピソードが書かれている。自分の属する派閥のボスが官邸を訪ねたとき、干からびたチーズと缶ビールしか出さなかった首相がいた。よく似た話だが同工異曲か。
松下禅尼は執権時頼の生母である。松下禅尼は秋田城介景盛の娘で、修理亮時氏の妻となって、経時、時頼、時定、為時を産んだ禅尼の夫時氏は三代執権泰時の長子だが、四代執権は時氏の嫡男経時が継いだ。
時頼は次男だから、松下禅尼は二人の執権の母ということになる。
禅尼が執権時頼に倹約を教えたエピソードが『徒然草』に書かれている。時頼を自宅に迎えることになった松下禅尼は、煤けた明かり障子の破れた箇所を切り貼りしていた。早朝に訪れた兄の安達義景が 
「そのようなことは他の者にやらせたらどうです」と言うと、
「わたしより上手にできますかどうか」
と切り貼りを続けている。
「すべて張り替えた方が簡単でしょう。斑では見苦しい」
と重ねて言うと、そうは思うが
「物は破れたる所ばかりを修理して用いる事ぞと、若き人(時頼)に見習わせて、心つけんためなり」と答えたという。これはただの倹約ではない。簡にして明を得た、政治の要諦であろう。(大久保智弘氏著)

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