天智天皇 てんじてんのう(六二六~六七一)
童門冬二氏著(作家)『別冊歴史読本』
「目で見る日本の英雄百五人」2176・10創刊号 一部加筆
子どものころ、ぼくたちにとって天智は日本史における〝清涼剤〟であった。清涼剤である、と教えられた。「新体制」というあの灰色の厚みを持つ重い枷(カセ)の時代を、大化の改新にオーバァー・ラップさせてイメージ・アップをはかる軍部政府の国民意識操作に、ぼくたちはのっていた。
絵本にこんな場面があったのをおぼえている。
高い崖に面した寺の廻廊の欄干の上を、ひとりの皇子が軽業師のように鞠を蹴りながら渡っている。一歩足をふみはずせばたちまち谷底に墜落する。しかし、皇子は自信満々だ。その皇子をもう一人の男が微笑みながら廻廊に坐って見まもっている。皇子は中大兄(ナカノオオエ)皇子(天智)、男は中臣鎌足である。蘇我入鹿を殺し、大化の改新を推進するふたりの有名な出逢いの場である。
この出逢いは、天智が鞠を蹴った拍子に脱ぎとばした沓を、鎌足が拾って捧げ、それが機縁になった、と伝えられている。しかし、記憶に誤りがなければ、絵本に描かれた天智は鞠を蹴って沓(クツ)をとばすどころではなく、ナイヤガラの滝の上でさえ、一本の網を張れば、その上を鼻唄まじりで鞠を蹴り通す自信に満ちている。舞台を、まるで清水寺の舞台のような高い崖の上に設定したのも、天皇家成員の人間業をこえた能力の示威が絵のモティーフであったのだろう。
新時代というのは、人間が歴史をうごかすという意味で、何か新鮮な感じを与える。しかし、天智と鎌足の二人によっておこなわれた大化の改新は、血と報復と権謀による王権確立行動にほかならない。
〝清涼剤″どころか、血と泥のジュースが壜(ビン)に詰っているのである。六四五年の入鹿惨殺にはじまる改新政治は、国土と人民の王家支配対象への編入と、これを推進する新官僚制の創出を、中国の制度・文化の移入による基調を貫流させたものである。この推進には、しかし、反対者に対する果敢な攻撃とその粉砕がともなう。蘇我一族でありながら天智に与し、入鹿暗殺を承認のうえで改新政府の右大臣までつとめた石川麻呂を叛意ありとして横死させ、飛鳥遷都を承服しない天皇孝徳をそのまま難波に置きざりにして悶死させたり、その子有間を謀略で反乱にひきこみ、絞首刑で命を奪うなど、天智・鎌足路線は決して清涼ではない。陰惨そのものである。
そしてその間隙を縫って、額田王はじめ多くの女に心身のかぎりを注ぐ。孝徳を置きざりにして飛鳥に移るときに、皇后間人も天智と行を共にしたが、間人は天智と男女の関係があったからだ、といわれる。事実とすれば間人は天智の実妹だから、まさに、兄・妹が近親相姦の関係にあった、といえよう。
もちろん、ぼくはそんなことはどうでもいい。興味があるのは、これでもか、これでもか、というあくなき天智の執念と行動力である。まるで古い時代の北欧の豪族たちの争いをみるように、その先頭に立つ男のように、ぼくには天智が映るのだ。
考えてみればそれが自然なのだろう。天皇一族の生態をありのままにみることを禁じてしまったのは、実は明治政府の考えで、それ以前はもっと帳(トバリ)の布は薄かった。
維新前夜、桂小五郎たちが天皇を〝玉″とよんでいたことは周知の事実であり、「おれたちの意にそわぬ玉はとりかえよう」とまで云っている。
坂本竜馬も、「いろいろ考えてみたが、人身で最高の地位は天皇のようだ。だから、おれも天皇になろうと思う」と、そのメモに書き記している。大逆も何もあったものではない。
天皇は、もっとなまなましい形で人民の身近にいた。遠ざけてしまったのは明治政府である。前記坂本は、維新内乱ののちの民心収攬を、天皇にしようか、キリスト教にしようか、と考えあぐねていた形跡すらあるのだ。
鎌足の意見に従って、極力、身を皇太子の位置におき、皇位とはつねに一定の距離を保つという、いわゆる決して首位には立たない、第二位主義をとりながらも、天智の実際行動がむしろ首位以上の線を突っ走ったのはなぜだろうか。
ぼくは荒々しい古代人の性格と同時に、やはり聖徳太子の仇を報じたい、という怨念が天智の胸に炎として燃えつづけていたように思えてしかたがない。特に、十八歳のときに眼のあたりにした入鹿の山背大兄王(聖徳太子の子)虐殺は、この怨念を決定的に固くさせたろう。
天智は不遇だった聖徳太子に自己を擬し、その怨念に自身の怨念を重ねて行動した、と考えてもよかろう。大化の改新は、したがって怨念の結実である。
崖の上の欄干を、鞠を蹴りながら渡る天智は、だから手も口も血に染まっている。沓など脱ぎ落とす精神の弛緩などありようがないのである。
そこに花も嵐も、とにかく自分の足で踏みこえて行くなまなましい人間像があることはたしかである。
□参考文献(編集部選)
『天智天皇』 中村直勝 近江神宮奉賛会 昭l3
『大化改新』 井上光貞 要書房 昭29
『大化の改新』 北山茂夫 岩波新書 岩波書店 昭36
『大化改新』(研究史) 野村忠夫 吉川弘文館 昭48
『白村江』 鈴木治 学生社 昭47