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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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富士山の信仰 身祿

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富士山の信仰 身祿
○富士山に登りて自ら餓死したる身祿といひし者あり。伊勢国市志下河上の荘の産にて伊藤氏なり。名を伊兵衛といふ。八歳の時大和国宇田郡なる小林氏の者の養子なりしが、十三歳の秋古郷に帰りぬ。其頃江戸本町二丁めに當山清右衛門といふ呉服店あり(清右衛門後に甚左衛門と改)ゆかり有るけるにや江戸に下り其店に僕となりて有しが、十七歳にてそこをも退ぞき下谷邊の武家(小泉氏あり)などにも中間になりて居れりとかや。その後駒込の邊にかすかなる店を借、水道町に山崎屋半兵衛といふ油屋ありしに便りて油をうけ擔ひ賣しけり。もとより富士浅間を信仰し歳毎に富士に登る事四十年怠慢なく六十三歳にて富士山半腹より上(俗に七号夕めと云)の方にて断食して死ぬ。享保十八年六月十三日より初て食を止め三十一日を経て七月十三日の刻にて終れりと、そこのおもひ企てしは其ころ小傳間三丁目に葛籠屋あり。

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