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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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江戸時代 富士山の話 富士山 嬉遊笑覧(喜多村信節)

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江戸時代 富士山の話 富士山 嬉遊笑覧(喜多村信節)
富士の高さは甲州富士吉田表口に高さ四丈三尺の鳥居あり。
これより山頂まで三百五十七町十七間ありといへり。
されど山上にまだ高き峰どもめぐり立り。俗に八葉のみねなどいへり。
その高さ知べからず。此山むかしより焼ぬけては烟絶たることしばしばなり。『古今集』の序に烟絶しことをいひ『更級日記』にはけふり立のぼり夕暮れは火の燃え立つも見ゆ。といひ(空暗くなれば烟赤くみゆるなり)『十六夜日記』にはふじのけむりのすえも朝夕たしかに見えしものをいつの年よりか絶えしと問えばさだかに答ふる人なしと有り。
山の焼出たることは『続日本記』に天応元年(781)七月駿河国言富士山下雨灰之所及木葉彫萎『日本後記』延暦十九年三月十四日富士山嶺自焼
(このことを『都良香の記』に山東脚下有小山、土俗言之新山、本平地也。延暦二十一年三月雲霧晦□、十日而成山、盖神造也とあり。宝永の時に山のいできにおなじ(宝永の噴火))

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