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甲州人らしい博徒、黒駒勝蔵

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甲州人らしい博徒、黒駒勝蔵

(東都山梨新聞主幹 古屋権一氏著「ザ山梨 武田信玄と甲斐路」読売新聞社刊S62所収記事)

 甲州博徒の中では黒駒の勝蔵が最も甲州人らしい生き方をしている。勝蔵は天保二年(一八三一)、黒駒村の名主の次男に生まれた。二十歳のとき江戸へ出て剣術を習い、目録の腕になって戻ってきた。黒駒あたりは行商をする土地でもないし、
米麦を作り、養蚕をして細々と暮らしている。鬱勃たる精神の若者には、退屈である。勝蔵はいつか隣村竹居村の安五郎の博場へ足を入れ、その子分たちとつき合うようになった。博場には彼を誘う熱気があった。安五郎はこのとき、ご用弁になって新島へ送られ、留守は子分たちが守っていた。安五郎はやがて、新島の名主を殺して鉄砲を奪い、島抜けに成功して甲州へ戻ってきた。勝蔵は初めて安五郎に会った。格幅のよい五十歳の親分だった。勝蔵は二十五歳。安五郎は勝蔵を一目見て気に入った。親分になる器量が備わっていたのだ。しかも、たがいに名主の次男だ。安五郎は勝蔵を可愛がった。そして、まもなく近くに一家を張らせた。彼の見込み通り勝蔵は気が利き、よい度胸をしていた。子分もしだいに増えたので、縄張りを分けてやった。勝蔵は親分としてよい顔になった。
 ところが博徒仲間の喧嘩から、勝蔵は代官に追われる身になり、駿河へ逃がれた。二十名ほどの子分を連れて歩いている勝蔵は、旅では″流れ親分”として、清水の次郎長などと対立した。遠州、三州までも足を伸ばした。こうしているうちに、安五郎が石和代官所の指金で上州浪人の犬上軍次郎という者に捕えられ、獄中で毒殺されたということを聞いた。彼は愕然とした。だが、その驚きの中では仇討ちを誓った。恩人の仇はどうしても討たなければ気がすまなかった。
 安五郎は島抜けの罪人だが、ふつうでは捕えられるはずはないので、よく聞いてみると、代官所では柔のできる軍次郎を用心棒として住み込ませ、安五郎が隣村へ用事で行く折をしめしあわせ、軍次郎が安五郎に後ろから組みついたところを、捕吏が何人も飛びついて逮捕したということだった。
 勝蔵は急いで、甲州へ帰り、子分ともに軍次郎の隠れ家を襲って仇を報じた。だが、代官所に斬り込むには人数が足りない。またの機会にすることにして、また旅に出た。
もう、この頃時代は大きく変わろうとして幕府と朝廷の争いが、侍従である彼の耳にもひびいてきた。こんな馬鹿なことをしてはいられないと思った。彼は十代の頃、村の神主、武藤外記から聞いた、同じ甲州の人で勤王の先覚者、大県大弐の話を思い出した。そして同時に、外記が文通しているという勤王の分家、四条隆謂のことも頭に浮かんだ。勝蔵はあれこれ考えて、京都へ行き、朝延方の兵として働こうと思った。思いつくと行動は早い。彼はあり金を子分たちに分配して、やくざの足を洗い、子分を二人ほど連れて京都に赴いた。そして、しばらく勝蔵たちは伊勢にいたのだった。
それから二年ほど消息を断ったが、明治元年(一八六八)、江戸に下る徳川追討の官軍の一部隊の中に、勝蔵は池田数馬と名乗り、一伍長として加わっていたのである。二人の子分も一緒だった。江戸で編成替えが行なわれ、第一遊撃隊に属した勝蔵は東北各地で戦ったが、戦争が終わると、余分の兵は不要になった。
 その頃、明治新政府は、金が欲しいため、金山の開発に意を注ぎ、甲府県にもその調査の指令が釆、県では武田信玄がかつて掘った黒川山金山を一応調査し、申告した。このことを開いた勝蔵は、軍職には見切りをつけ、資金を工面し、かつての子分や人夫を連れ、黒川山金山を掘ったが、未熟な技術ではどうなるものでもなかった。
 見切りをつけた彼は、伊豆に保養に出かけたが、湯の宿で甲府県の捕吏(もと同心)に逮捕された。勝蔵は維新前の罪は新政府成立の大赦で消滅するか、軽減されるかを知っていたので、抵抗もしなかった。
 ところが、これが見込み違いだった。彼の場合は、維新前の殺人罪が特に通用された。司直の見込みがすごく悪かったのだ。遊歴の博徒の親分だから、殺しの一つや二つはいつでもあった。
「しまった!」血を吐く思いだったが、どうしようもなかった。明治四年十月十四日、甲府の山崎刑場で斬首された。四十一歳だった。
同じ頃、甲州財閥の同輩の先駆者、篠原忠右衛門、川手五右衛門、若尾逸平、雨宮敬次郎らが日本最大の貿易港横浜で、力いっぱい活躍していた。
 博徒から、勤王の武士になり、金山にも目をつけた勝蔵がもし伝手があって、この人たちとともに仕事をしていたなら、屈指の事業家になったにちがいなかった。それだけの器量があった。領主もいないからそうした武士の後ろ楯もなく、学問もない甲州青年が自分の力だけで、やり遂げられるのは、実業界しかなかったのだ。

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