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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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信州塩尻合戦 甲陽軍艦

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信州塩尻合戦 甲陽軍艦
天文十四年(1545)五月二十三日辰ノ刻に、小笠原勢は塩尻峠を越え、木曾殿
の軍勢の支援をえて峠に陣立し攻撃をはじめた。小笠原殿は、かねてから、たびたび晴信の前に敗走をかさねていて、このままでは小笠原は滅亡と憂慮しておられた。したがって今回は決戦をいどんだのだ。それが証拠に、先衆(先陣)三頭としばらく戦いとなった。その間に右備衆の軍が二頭で峠をから廻りこんで、木曾殿の備え陣に攻めかかろうとするのをみて、小笠原軍は動揺して勝利を失ってしまった。小笠原・木曾の両敵軍を晴信公の軍勢が討ちとった数は、六百二十九、その首帳記載をもって同日未の刻に勝鬨を執り行う行うことで終わった。
天文十四年五月二十三日巳の刻に、木曽・小笠原両旗で、小笠原方から進撃してきて、晴信公は待合戦だったにかかわらず勝利をえられた。信州塩尻合戦というのはこれである。晴信公二十五歳の時であった。

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