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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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武田信玄と「啐啄(さいたく)」の文字

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武田信玄と「啐啄(さいたく)」の文字
<註>『啐啄同機』さいたくどうき
雛が孵化(ふか)しようとして、卵からの内側から、すするように嘴(くちばし)で殻壁をつつく。それに応じて親鶏が外側から、卵の殻をつつき、内外相応じて卵殻を破ること。
 禅僧が求道中、師家の一喝でさっと悟る境地に譬えたことば。
 
武田信玄、神君の英烈たるを伝へ聞き、信州伊奈の下条弾正信氏を以て、書を酒井左衛門尉方へ贈り、向後徳川家と文を通ぜんとする。紙表に喀啄の二字もあり。人其の意味をわきまえず。然るに勢陽の江南和尚、岡崎を歴て東国に赴く。石川日向守家成是れに対して、彼の文字の旨を尋たる処に、鳥の卵を破るにその節あり、早荒ば水にて益なく、遅ければ腐ると云意味なりと答える。此の事御聴に及ぶ所、万端時を待事肝要なり。武将は一入(ひとしお)此の心霊すべき旨命あり。後日柴山小兵衛を召して、鷹も能夜居(よくよい)を成し、その節を得て鳥を捉らしむる事など啐啄の心撃と宣(のたま)う。信玄書を呈するを以て、酒井忠次は信玄と今川干戈(かんか 戦争)を起さんやと云う。閑人彼れ叔叙姪の間、何ぞ弓に及ばんやと囁きけるが、果して信玄軍を起し、氏真を逐う。(武徳編年集成)
 

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