馬場美濃守信房の墓(長篠)
馬場美濃守は、設楽原寒狭川右岸で戦死したが、その墓は、長篠城址の西方五百米程の位置、寒狭川の左岸にある。現在墓場には、「馬場信房殿戦忠死の碑」と刻んだ碑と自然石の碑との二碑がある。殿戦忠死の碑は、明治二十四年十一月二十二日の建立だが、自然石のそれは以前のもので、文字は風化してしまって現在は読めない。建碑工事の折。前からあった墓石の下から、数片の骨片と素焼きの皿二枚が出た。皿の一枚は越後の馬場氏に賜り、他の一枚は林重三郎が保存している。林家では、その骨片を馬場美濃守信房の遺骨と信じ他の長篠合戦関係資料と共に、希望者には参観を許していた。ところが、昭和のはじめ、第八高等学校の学生が林家を訪ねた折「名将の遺骨を見世物にするとは何事か」とひどく憤慨した。当時の林勲平氏は感動して、昭和三年五月二十一日、遺骨を瓶に納め、蓋表に、明治二十四年九月馬場公ノ墳墓ヲ改修して遺骨数片を得、爾来郭林ニ保管セシカ当主勲平所感アリ仍テ之ヲ還納ス
昭和三年五月二十一日医王寺廿七世良仙識
と記して、良仙師を始め三人の僧侶が、読経して埋骨した。…『長篠古戦場見聞録』
馬場美濃守信房の墓 (三河國二葉松末)
長篠村、武田臣馬場美濃守信房の墓あり、出沢の沢尻ニテ討死、頸ハ長篠橋場近所に埋ム、此所元禄年間ニ畑トナリ石塔ノミ今に有り 『甲陽軍艦』