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榊原康政 肖像画・略歴

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榊原康政

小字亀丸稍長じで小平太と改める、幼い時より学を好み書を能くする。酒井忠尚に属し、上野城に居るや、徳川家康召して之に録す、永録六年(1563)年甫めて十六一向の徒を攻め功あり、後も家康に近侍し諱字を賜いて今名に改む、姉川味方原役先驅を爲し、其他大小数戦皆功あり、小牧の役康政檄を楽田の諸栄に傅へ、秀吉恩を忘れ主家に讎(むくい)す暴戻大逆と為す、秀吉怒りて千戸侯を以て康政の首を贖(あがな)ふ、家康、秀吉と成を行ひ後も秀吉に京師に會す、秀吉手を執て、其精忠を賞す、天正十四年(1586)従五位下式部大輔に叙任し館林城十萬石に封せらる、文禄の役留後と為り、秀忠に仕へ後ち其輔弼となる、関ヶ原の役秀忠の先駆となり、期に後れて至る、家康其遅緩を譴め秀忠を見ざること三日、康政濺泣悲號其理を辨じ、意梢解け秀忠を伏見に延見す、秀忠親ら筆を執りて康政を賞す、康政期に後れ関ヶ原の役に逢はず、然れども異日必大阪兵革の起るを知り、備前は大阪に近きを以て意竊に之を求め、變あるに當り先驅功を樹てんとす、慶長十一年(1606)館林に病臥し、五月十四日卒す、年五十九、所謂徳川四天王の一人也。
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