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豊臣秀吉 肖像・略歴

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豊臣太閤秀吉

豊臣秀吉幼名日吉、通称與助、後、木下藤吉と改める、尾張愛知郡中村の人、幼より大志あり稍長じて織田信長に仕える。信長斉藤氏と兵を交えるや、初て甲士五百に将として功を成す、因って三千貫を賜い名に命じて秀吉と曰う、永禄十二年(1569)将軍足利義昭一将を得て京師を鎮せしめんとする、信長之を秀吉に命ず、元亀元年(1570)朝倉義景を撃で功あり、愛知川三萬石を食む、天正元年(1573)浅井長政親子を攻む功を以て浅井の地十八萬石を賜ひ、明年長に築き、三年筑前守に叙し、羽柴と更む、後ち封を加へて、廿二萬石に至る、秀吉信長の命を承け中國に出陣し毛利氏と兵を交える、信長また出でて、本能寺に館し明智光秀の為に弑せらる、是に於て秀吉毛利氏と和し、兵を収めて帰り竟に光秀を誄し、捷を朝廷に奏す、詔して従四位下右近衛中将に叙任す、天正十三年(1585)正月正二位内大臣に進み関白と為り、姓豊臣氏を賜ふ、文禄中朝鮮を討ち大に明軍を敗ること前後二回、慶長二年(1597)秀吉伏見に在りて、病篤し是に於て五奉行を定め将を朝鮮に遣して兵を収めしめ八月十三日崩御す、年六十、阿弥陀峰に葬り社号を豊國と賜ふ。

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