●1836 天保7年
〔台ヶ原文書〕川欠。
●1837 天保8年
〔白須文書〕田流。
●1839 天保10年
〔白須文書〕田流。
●1840 天保11年
〔台ヶ原文書〕子押堀石砂入。(尾白川)
●1845 弘化2年
〔白須文書〕巳2月4日付け道中明細軽「南川.田沢川両川原間の距離1町6間」
「境川切込田沢川長24間、田沢切所20間、南川切所18間、
(川除一両線右腹何基40聞、平均高2尺横2聞)
●1846 弘化3年
7月、大雨、諸川氾濫。
●1847 弘化4年
大出水。
●1861 文久元年
〔白須文書〕太郎吉流、畑流成本起返流。
●1866 慶応2年
大洪水。
●1868 慶応4年
7月、16日より18日まで降雨、大出水。
〔白須文書〕当本川欠、源山ニ而山崩れ。
●1869 明治2年
7月12~13日、大雨諸川氾濫、道路橋梁流失す。釜無川上三吹に切込む。
〔上教来石文書〕堤防切所130間甲信境橋(国界橋)流失、田畑境地。
下教来石堤欠所長6間。
〔白須村〕自普請所切田畑損地16町。
〔台ヶ原〕両川満水田畑損地2町3反。
〔片嵐村〕自普請所切田畑損地2町3反。流川通り堤切云々。
〔白須〕田沢川欠石砂入、当本流。
●1870 明治3年
7月、降雨大出水。
〔治水水害資料〕4月18日.7月20日.8月の三回大洪水。
〔白須〕田沢川押し出し馬飼場田流す。
●1874 明治7年
大出水。
●1876 明治9年
9月~14日より17日まで大雨出水。(釜無川)。
●1878 明治11年
9月15日より16日まで大雨水害。道路欠所。
●1881 明治14年
9月11日より13日まで暴風雨、釜無川増水9尺、堤防決壊。
●1882 明治15年
9月30日より10月2日まで3日間豪雨、釜無川増水氾濫。(中流域)
●1885 明治18年
6月29日(28日)より7月1日まで3日間、大雨洪水。
釜無川、教来石地内堤防百聞余欠潰の外、上三吹に切込む。(富士川流域河川調査書)
●1892 明治25年
7月22日午後1時頃より降雨、23日午前最も降る。堤防の決壊多し。
●1894 明治27年
8月10日より11日まで暴風雨、釜無川流入の谷川渓谷崩壊し云々。
田沢川氾濫して下村の民家を押し流す。
●1896 明治29年
9月8日より10日まで暴風雨、降雨滝の如し。洪水。
●1898 明治31年
〔水害史)甲州全土の大小河川氾濫。
〔日本気象協会〕9月5日、台風吹き暴れ豪雨滝の如し。諸大小河川大氾濫。鳩川・宮川氾濫。
大深沢川大増水して釜無川の濁流を突き、上三吹の堤防を押し潰して集落に流入する。
〔白州文書〕鳥原5筆2反809免租、尾白川氾濫、上三吹水損。濁川・釜無川氾濫。
〔白須村〕田沢川土砂を押し出す。
●1906 明治39年
7月15日より16日まで大雨大出水。
●1907 明治40年
8月22日より24日まで大麦雨、甲州河なく一面泥海云々。
〔白州文書〕釜無川堤防決壊、上教来石3