●1907 明治40年
8月22日より24日まで大麦雨、甲州河なく一面泥海云々。
〔白州文書〕釜無川堤防決壊、上教来石3ヶ所275間、下教来石64間、流川字橋下9間、
免租白須13筆5反1畝18歩。
○水害後に赤痢発生する。
●1909 明治42年
水害、橋流失し交通途絶。
●1910 明治43年
8月、大雨大出水、山崩れ、田沢川土砂を押し出して耕地を埋め、字竹花と所帯(白須上)の境付近の避病舎(現東電変電所)方面にも被害を与える。尾白川氾濫。鳳来村釜無川大洪水ニテ田約15町歩流失。
●1914 大正3年
8月29日~30日、大雨、釜無川氾濫し橋梁流失。花水橋流失する。尾白川増水8尺橋梁流失。
●1923 大正12年
9月3日~6日まで大雨、5日の地震の被害と併せ災害大。
●1935 昭和10年
9月21日~30日まで大雨、釜無川氾濫。
●1948 昭和23年
9月15日~16日、アイオン台風。釜無川増水。
●1953 昭和28年
9月23日~25日、13号台風。河川増水。
●1958 昭和33年
9月22~26日まで23号台風(狩野川台風)大武川増水。
●1959 昭和34年
8月12日~13日まで7号台風豪雨、尾白川氾濫して堤防決壊、台ケ原3戸流失。
大深沢川氾濫して釜無川と合して、右岸の上三吹の堤防を破壊。
黒戸山の大崩落(8合目)山津波を起こして柳沢を襲い、大武川氾濫。
釜無川氾濫して堤防決壊、田畑流出、橋梁破壊。
9月23日~26日15号台風(伊勢湾台風)通過。風水害。釜無川・尾白川再氾濫し複合水害となる。
●1961 昭和36年
6月23日~30日まで、梅雨前線による豪雨。諸川満水。
●1982 昭和57年
8月1日~2日10号台風の通過、暴風雨。崖崩れ多発し被害多し。
尾白川・濁川(神宮川)・田沢川の河床上昇、田沢川溢れ流出するが、被害は軽故。
釜無川、上教来石地先の河床、異常洗振を起こし流路が変わる(ミニグランドキャニオン)。
下流の竹花橋及び取り付け道路決壊、花水橋詰め流出。鳥原の松山沢川水路決壊。
尾白川増水して茶の下橋が流失する。
9月12日、18号台風。釜無川増永して竹花橋中央部流出、花水橋流失する。
●1983 昭和58年
8月17日、5号台風。釜無川増水して異常洗掘進行する。
9月27日、10号台風。釜無川増水、異常淡海を続け国連20号繰国界橋下に達する。
<資料> 山梨県の気象(昭和45年)山梨県水害史(明治44年)山梨歴史年表 白州町各区古文書