●1714 正徳4年
5月、大出水。
●1715 正徳5年
大出水。
●享保年間 1716~34
度々氾濫する。
●1720 享保5年
大出水。
●1172 享保13年
7月~9月、諸川氾濫、堤防・橋梁一道路流失。釜無川小武川切れ込み山押し。
尾白川決壊、田畑に砂入り石を置く。
●1731 享保16年
5月、15日~24日に及ぶ降雨。国中一帯洪水甚だし。
●1742 寛保2年
8月1日、大洪水。
●1747 延享4年
8月18日、洪水大被害、海川氾濫。
〔12月付け台ヶ原書上帳〕尾白川通石積8ヶ所延長88間、腹付10ヶ所延長254間
一中略一釜無川通石積腹付1ヶ所大破。
●1748 寛延元年
6月4日~6日まで大雨、諸川暴張。釜無川決壊し上円井被害甚大。
濁(神宮)川2年続で氾濫。
〔鳥原渡辺文書〕当月5日満水にて水押し掛け云々。
松山沢川・流川氾濫。
●1757 宝暦7年
5月、洪水大被害。
〔大坊新田道村文書〕当5月満水一中略一田畑山崩れ石砂入り云々、道橋押し崩し-後略-
●1773 安永2年
〔白須文書〕川欠田畑砂入。田沢川か。
●1785 天明5年
洪水大被害。
●1786 天明6年
尾白川出水。〔台ヶ原文書〕風水損、青立皆無(冷害の記事か)
●1790 寛政2年
19日~20日、大風雨氾濫。
〔青木文書〕釜無川・塩川大満水田地屋敷流失。
〔台ヶ原文書〕川欠石砂入(尾白川?)
〔白須文書〕川欠(田沢川?釜無川?)
〔道村文書〕滝道川中込川式部川決壊。
大風雨釜無川氾濫。(29日大洪水?)
●1791 寛政3年
3月、釜無川決壊。〔白須文書〕釜無川通右横切所外海川通用水口石模欠所
田沢川通瀬竣長80間深2尺。
●1792 寛政4年
〔白須文書〕当子川欠山崩石砂入、田464石畑9石928御林22反100砂入。(田沢川)
〔大坊新田道村文書〕大武川石積外7月12~14日迄大雨洪水。
●1798 寛政10年
〔白須文書〕坊田大陸士官八ヶ所○(田沢川の押し出し?)
●1802 享和2年
6月28日、29日、大雨甲州大水嶺之事。(水害資料)大雨川通り田畑大嶺し、家等流云々。
〔台ヶ原文書〕川欠山崩石砂入(尾白川)
〔白須文書〕田47石876川欠山崩れ、石砂入御林24反104川欠(略)釜無川・田沢川。
8月1日、大風雨諸川氾濫。
●1803 享和3年
8月、 釜無川洪水。
●1804 文化元年
8月、甲州道中筋、釜無川の本瀬変わり往来不出来。(日本自然災害年表)
●1818 文政元年
〔白須文書〕水損。(洪水)
●1819 文政2年
〔白須文書〕水損。(洪水)
●1820 文政3年
8月10日、〔白須文書〕水損。(洪水)
●1823 文政6年
甲州道中信州填まで寸断、田畑流失。
〔台ヶ原文書〕尾白川通り右横一中略一釜無川通8月、出水大破、川欠石砂入。
〔白須文書)田畑石砂入川欠➡田沢川欠「石入り川欠」濁川氾濫。
●1824~27 文政7~10年
釜無川洪水。〔白須文書〕水損。
●1828 文政11年
6月10日、30日~7月1日、〔白州町文書〕大風雨出水、村々用水堰川除共流失、田地流失。
〔台ヶ原文書〕子川成石砂入。〔白須文書〕田流細流。濁川氾濫。
●1829 文政12年
釜無川氾濫。〔白須文書〕水損。
●1836