『甲陽軍艦』などに見る武田信玄と勘助
信虎退隠についての甲斐諸書の記述
山本勘助の生みの親、「甲陽軍艦」 勘助関連文書には偽書が多い
江戸時代に語られていた武田信玄と甲斐武将江戸の人々に話しつがれた甲斐武将
信虎と信玄 『甲陽軍艦』 「品第三」
これに対して晴信公は、今川義元に加勢を頼む必要は無い。 五年まえに父信虎を義元に頼んで駿河に出し・ 信虎が駿河に留め置かれたのは、義元の働きである。これは義元公が、信虎を引き受けることで、自分が甲斐を支配できる・ と、考えていた。 また信虎は舅にあたり、自分の配下に置くことは出来ないが、私晴信は義元より二歳年下であるから、なんとしても配下に置きたいと考えている。(この話はさらに続く)
武田武将 山県三郎右兵衛尉昌景
山県源四郎昌満
山県源八郎
山県三郎右衛門
井上靖と風林火山 「風林火山」は井上靖の小説から生まれた。
井上靖と風林火山 「風林火山」は井上靖の小説から生まれた。
早春の甲斐・信濃
私の夢
「風林火山」について
「戦国城砦群」作者のことば
「風林火山」の劇化
「風林火山」の映画化
私の作品の中で「風林火山」ほど映画化の申込みを受けたものはない。併し、何回映画化の話はあっても、そのいずれもが何となく立ち消えになる運命を持った。それがこんど稲垣さんと三船さんの手で、本当に映画化されるという幸運に見舞われた。しかも堂々と正面から組んだ本格的な映画化である・1風林火山」は今日まで待った甲斐があって、漸くにしてゆたかな大きな春に廻り会えたのである。
「風林火山」と新国劇
「風林火山」は昭和二十八年から二十九年にかけて『小説新潮』に連載した小説です。発表当時、多少の反響はありましたが、現在のように.風林火山″という四字は一般的なものではありませんでした。時代というものは面白いもので、いかなる風の吹き回しか一昨年あたりから、「風林火山」という作品が再び多勢の人に読まれ始め、テレビに劇化されたり、映画化されたりする機運にめぐりあいました。作者の私も驚いていますが、一番驚いたのは主人公山本勘助であろうと思います。彼の作戦家としての慧眼を以てしても、自分がいまになって脚光を浴びようと予想はできなかったことであろうと思います。次に驚いたのは劇団「新国劇」の首脳部の方々ではなかろうかと思います。新国劇によって「風林火山」が最初に拾い上げられたのは昭和三十二年のことですから、十二年ほど前のことです。脚色、演出の池波正太郎氏も、島田、辰巳両氏も、「風林火山」の名が今日一般化したことで、すっかり驚いておられるのではないかと思います。
「甲陽軍艦」品第一 甲州法度(ほっと)の次第
河中島五箇度合戦記
苗字の発祥 (あの部)
苗字の発祥 青木氏(甲斐青木氏)
苗字の発祥 青山氏
苗字の発祥 赤木氏
苗字の発祥 赤川氏
苗字の発祥 赤松氏
苗字の発祥 秋田氏
苗字の発祥 秋津氏
苗字の発祥 秋山氏(甲斐 秋山村)
苗字の発祥 秋元氏(甲斐 谷村藩主)
苗字の発祥 秋葉氏
苗字の発祥 芥川氏
苗字の発祥 明智氏
苗字の発祥 阿久津氏
苗字の発祥 浅井氏
苗字の発祥 浅野氏
苗字の発祥 浅見氏
苗字の発祥 浅原氏(甲斐)
苗字の発祥 麻生氏
苗字の発祥 足利氏
苗字の発祥 芦田氏
苗字の発祥 芦名氏
苗字の発祥 安宅氏
苗字の発祥 東氏
苗字の発祥 安曇氏
苗字の発祥 足立氏
苗字の発祥 安達氏
苗字の発祥 阿部氏
苗字の発祥 甘糟氏
苗字の発祥 相田氏
苗字の発祥 会田氏(甲斐)
苗字の発祥 尼子氏
苗字の発祥 天野氏(甲斐)
苗字の発祥 雨宮氏
苗字の発祥 網野氏(甲斐)
苗字の発祥 安西氏(甲斐)
苗字の発祥 新井氏
苗字の発祥 有沢氏
柳沢吉保、日本経済事情 総理の月給四億円
柳沢吉保、日本経済事情 総理の月給四億円
大老柳沢吉保の場合
金力による占いと禊(みそぎ)
柳沢保明初任給二十六万円
七年間で給料20倍アップ
大老吉保月給2億円
武田武将 春日弾正忠 附「甲陽軍鑑」は佐渡で書かれた。
春日弾正忠
高坂源五郎正澄
高坂源五郎
高坂又九郎
春日惣次郎
両巖図説并春日宗二郎傳(「燕石雑志」)
【注記】燕石雑志(えんせきざっし)
佐渡の洋学者 石井夏海(「図説佐渡島歴史散歩」による)
武田軍の戦力分析
- いまは鉄砲が重要だから、槍を省略しても鉄砲を持ってこい。鉄砲の玉薬をたくさん用意した者は忠節と認める。●武田軍と徳川軍(徳川軍には武田遺臣が大量に流入・徳川軍戦法に武田軍の戦法が大きな影響)*徳川家康・秀忠の軍合=武田の軍令(類似)<例>*井伊直政の慶長20年(1615)4月6日軍令
- 諸道具(武器)を持っていく者は、小荷駄にまじってはいけない。:徳川秀忠の慶長19年10月16日付軍令
- 小荷駄押の時、軍勢にまじってはいけない。*『信長記』によれば武田軍は長篠役時の武田軍軍装が黒装束・赤装束などに統一されていたことが記されている。・武田の遺臣で井伊家に属した土屋隊は武田時代のままの赤装束で、「井伊の赤備え」と呼ばれて恐れられた。
甲陽軍艦「品第二」信玄公の舎弟典厩が子息へ異見
- 『論語』にいう、学ぶだけで自分で思考しなげれば深まらない。
- 逆に乏しい知識で考えているだけで、学ばなければ不確かで独断になる危険がある。十二、歌道に精通すること。
- 歌にいう「かすならぬ心のとかになしはてし、しらせてこそは身をもうらみめ」
- (思いのとげられぬのは、物の数にも入らない、つまらぬ我が身のせいにはしてしまうまい。相手に我が心をうち明けて、それでうけ入れられない時、初めて我が身のつたなさを嘆こう。)十三、諸礼、油断なく嗜むべきこと。・ 『論語』には、孔子が周公の廟(霊を祭る堂)に入って祭に関与したおり、儀式について先達にくわしく質問した、とある。十四、風流過ぎてはいけないこと。
- 『史記』にいう、酒は度をこすとすなわち乱れ、楽しみも極限に達すると逆に悲しみとなる。
- 『左伝云』にいう、遊び暮らすことは鵜の羽にあるという猛毒と同じで、必ず身を滅ぼすもの。
- また語にいう、善いことは善いこととし、賢徳を重んじて情欲をおさえること。十五、ものをたずねた人に対して、失礼な応答をしてはいけない。・『論語』にいう。友と交際して信用を失うような非礼なことは言わなかったか反省する。十六、いつでも堪忍の二字を心がげるべきこと。
- 古語にいう、若い時、韓信が股をくぐらされて恥をかかされたが、よく忍んで後年漢の功臣になった故事のように、忍ぶ心が大切だ。十七、小さなことにつけ大きなことにつげ命令に違反してはいけない。・水は容器に応じてどうにでもなる。人も周囲の状況によって善くも悪くもなる。十八、知行ならびに助勢を望んではいけない。・伝にはいう、功績がないのに受ける賞は不正による富みであり、禍の遠因となる。十九、侘び言や雑談すべからざること。『論語』には、貧しうして諂(へつら)うなく、富みて騒ることなし、とある。二十、家中の郎従に対しては、慈悲肝要のこと。『三略』にいう、民は両手両足のようなものであるから。二十一、家来の者が病気の時は、たとえ手数がかかっても見舞うこと。『軍識』には、臣下の身を、自分の、のどの渇きのように思うこと、とある。二十二、忠節臣を忘れてはいけないこと。『三略』にいう、善悪を混同して評価していると功臣は離れる、と。二十三一人をおとし入れるために悪く告げ口する者は許容できない。
- ただし隠密の場合は別で、内容についてはひそかに調べ確認すること。
- 語にいう、真直な板をとりあげて、曲がった材木の上にのせておくと、いつの間にか材が真直になるように民も服する、と。二十四、正しい諌言にはそむかないこと。・古語にいう、良薬は口に苦く、病に利あり。諌言は耳に逆うて行うに利あり。・また『尚書』にいう、忠告はその時は耳が痛く苦痛だが、実際の場面で利益になる。曲がった木も墨なわを当てて削ればまっすぐにいく。
- 同様に人の忠告を快く受けいれれば政治を誤ることがない。二十五、家臣たちが奉公の意志はもっているが、何らかの事情で困窮しているものに対しては、ひとまず援助する。・一年の計は五穀を種るにしかず、十年の計は木を種(うう)るにしかず、・一期の計は人をたつるに如かず、とい二言葉がある。二十六、自分の用事のために、屋形の裏門を出入りしてはならない。
- 礼記にいう、父子席を同じうせず、男女席を同じくせず、とあるように、もの事のけじめをはっきりさせる。二十七、友人から仲間にされないような者は、仁の道に励まなげればならない。『論語』にいう、食終える隙も仁に違わず。二十八、毎日の出仕、懈怠(けたい)してはいけない。
- 『論語』にいう、畢竟(ひっきょう)、出仕の時は同僚と同じ所に居て、それから奥へ行くべきである。自分のいるべき場の判断が大切である。
- 語にいう、三日も会わずにいた後では、相手を今まで通りと思ってはならない。
- まして修業している君子のような立派な人物の場合にはなおさらで、ずっと向上しているものだ。二十九、深き知己たりといえども、人前においては雑談すべきではない。論語にいう、十分思案してから発言もし行動せよ。三十、禅の修行に励むこと。参禅別に秘訣なし。生死切なることを思え。という言葉がある。三十一、帰る時は前もって使者を出すこと。
- 突然の帰館では留守の衆の不行儀が目につき叱責ということになる。細かい事まで糾問していては際限がない。
- 『論語』にいう、教育しておかずに法に背いたと処罰するのは、残虐である。三十二、主君からいかなる、つれない遇されかたをされても不平不満をもたぬこと。主君が主君らしくなくとも臣下として勤めること。
- またいう、鹿をおう者山を見ず。またいう、下の者が長上の者の意をやたらにさぐらないこと。三十三、召使う者の小さな過失は叱責しなければならない。
- 大きた罪を犯した者はその体を破滅にみちびく。大公はいう、双葉のうちに悪はつみとらなければ、そのうち斧を用いなげればならない。
- ただし小さな罪に対し度々罰すればかえって畏縮するおそれがあろう。『呂氏春秋』にいう、命令が厳しくなげれば聴かないし、そこに禁ずることが多げればすなわち実行しなく恋る。三十四、褒美のこと、大細によらず則ち感ずべきこと。『三略』にいう、論功行賞はすみやかに機を失わずすること。三十五、自国、他国の動静、政治の善し悪しにつきくわしく確認しておく。『書経』にいう、古人の教えを手本にしないと永続したい。三十六、百姓には定めた役務のほかは、むやみにそれを上まわって課してはならない。・『軍識』にいう、統治者が残虐な政治をすれば人女の生活は破滅し、搾取を重くすれば、犯罪が際隈もなくおこり、人々は道義を破り荒れる。三十七、他家の人に対して、家中の悪事を決して語ってはいけない。・いう、よい行いは、なかなか世間に伝わりにくい。『碧巖』にいう、家醜を外に向いて揚ぐることなかれ、と。三十八、人を召使う様、その適性によって用所を考え命ずべきこと。古語にいう、良匠は材を捨てず、上将は士をすてず。三十九、武具は怠りなく用意しておくこと、『老子』にいう、九階ほどもあるようた高い展望台も、積み重ねた、すこしの土台から築かれる。四十、出陣の際は、一日も大将の後に残ってはいけないこと。『論語』にいう戦場で退却の鐘に心痛め、進軍の太鼓に勇む。四十一、馬に精を入れるべきこと。『論語』にいう、犬は守禦をもってし、馬は労に代わるを以てす。よく人に養われるものなり。四十二、敵味方打ち向う時、未だ備えを定めないうちに撃つべきこと。
- 語にいう、よく敵に勝つ者は、敵の形の定まらないうちに勝つ。またいう、まっしぐらに進撃する家風で躊躇しない。四十三、軍の時、敵を遠くまで深追いしないこと。『司馬法』にいう、逃げる敵を追うあまり、隊列をくずし、人馬の力を空費しない。四十四、勝軍に至っては、踏み止まらず一気にかかって圧倒せよ。
- 但し敵が陣容をたて直すときは、留意すること。『三略』にいう、戦は風の発するが如く攻勢は迅速に一気にせよ。四十五、軍が近づく陣は兵を荒く扱うべし。その訳は、兵の怒りが戦いにつながり、激しく懸命に戦うものだ。
- 『司馬法』にいう、威力なく柔かならば水のように弱く、人はこれをもてあそび、威力あり剛なれば火の熱するようで、人は恐れてこれをみる。四十六、敵勢の強力さを人前で語らないこと。『三略』にいう、敵の素晴らしさを人に語らせることを許さないこと。四十七、諸卒は敵方に対し、悪口を言ってはいけない。『論語』にいう、蜂を怒らせれば、竜のような勢いで猛り狂い襲いかかってくる。四十八、たとえ心安い親類、被官といえども柔弱の姿勢を見せるべきでない。『三略』にいう、勇猛さを失っていると、配下の役人も兵士を畏敬しなくなる。四十九、あまり進退に過ぎる行為に走らず、挙動の面で慎しむこと。『論語』にいう、本筋からはずれた事を多く望み好むと結局得られない。・またいう、過ぎたるはなお及ばざるが如し。五十、敵陣において不意を撃つときは、正面の道路をさけて別の間道から攻めること。・『論語』にいう、昼は桟道を修理して、そこを渡ると思わせ、夜になると別の暗道を渡る。五十一、大方のことは、人に尋ねられても知らないふりをするのが無難というものか。・『論語』にいう、たとえよい事であっても、あれば煩わしいからむしろ何もないのが平穏でよい。五十二、家来が勝手に離反して他者に仕えても、反省したなら、事情に応じて許し再び家来とすること。
- 『論語』にいう、決意あらたに進む者にはその意気をかい、過去をとがめない。五十三、父は道理をさとらないから処罰しても、父親の処罰と別に、子が忠功に秀でていれば子供には怒りの念を抱かないこと。・ 『論語』にいう、まだら毛の牛の子でも、赤毛で角の形がよければ、祭のいけにえに用いまいとしても、山川の神女が捨てておかない。五十四、軍勢を扱う場合、和敵・破敵・随敵の分別肝要のこと。『三略』にいう、敵によって戦略を変える。五十五、毎事争うことは、敢えてしてはいけない。『論語』にいう、君子は人と得失を争い、勝負を競うことを決してしないが、もしするとすれば、まず弓の競射であろうか。五十六、善悪をよく正すべきこと。『三略』にいう、善を廃すれば則ち衆善衰う。
- 一悪を賞すれば則ち衆悪帰すで、どんな小さな善行でもゆるがせにしないこと。五十七、食物到来の時は、眼前に仕える諸兵に少しずつ配分すべきこと。・『三略』にいう、昔良将は、兵を用いるのに、濁酒を贈る者があると、曲水の宴のように、諸兵と同じように飲んで心を一つにした。五十八、常に功を作ることなくて、立身は為しがたいこと。千里の行も一歩より始まる、という言葉がある。五十九、貴人に対しては、たとえ自分に一理あっても忍耐すること。・『老子』にいう、口数が多いと無用なことを言ったり、言いそこないをしたりするから、窮地におちいる結果になる場合が多い。六十、過を争ってはいげない。それ以後の嗜み肝要のこと。『論語』にいう、過ちを犯したら、それを潔く改めるべきだ。過ちを犯してそれを改めないのが、ほんとうの過ちというものだ。六十一、深く思い立つことがあっても、そうせざるを得ない意見は受け入れること。論語にいう、約束して言った信が、道理にあっている場合は、言った通り実践してよい。六十二、貴賎ともに老者を慢(あなど)ってはいけない。古語にいう、老を敬すは父母の如くす。六十三、出動の時は食物を夜中に服し、陣屋からただいま敵に合う様に出立し、帰り着くまで、少しも油断してはいけない。
- 云く、無為を城とたし油断を敵となす、という言葉がある。六十四、行儀の悪い人に近づかないこと。