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甲斐源氏 源頼義画像


歴史を感じる 佐久市の民家と倉(蔵)

佐久市銘木珍樹

佐久の日本家屋の美  どれも文化財

世界と日本 古代性の神様 それは崇高な信仰だった

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 イザナミ・イザナギの神 静岡県下田了仙寺
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縄文時代 埼玉県 北海道
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男女性器埴輪 群馬県 栃木県


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山梨県 富士博物館
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女性信仰の始まり 天の岩戸
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甲斐の馬に関する『甲斐国志』記事抜粋 図版

古代御牧以前の馬に関する記述

日本勅旨牧の貢馬の歴史 823~1588


真田一族 真田丸 『歴史と旅』特集「信州戦国紀行」

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『歴史と旅』特集「信州戦国紀行」1998 秋田書店 
美術評論家 中野中(あたる)氏著 一部加筆
海野(うんの)の海野棟綱の子。

真田幸隆(さなだゆきたか)

永正十年(1513)~天正二年(1574
真田郷に拠り真山弾正忠、一徳斎と号した。天文十年の海野平の戦で村上義清に敗れて上野国山野氏のもとへ逃れ、同十三年、武田信上の配下に組し、信濃侵攻の先方として活躍。同二十年、宿敵義清を戸石城に破り本領真田郷を回復した。その後も信玄の上野国攻略をたすけ、永禄六年(1,563)岩檀城、同八年岳山城、元亀三年(1572)白井城を攻略、天正二年(1574)、六十二歳で病没した。
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真田昌幸(さなだまさゆき)

天文16年(1547)~慶長16年(1611
 幸隆の三男。天文二十二年より武田信玄の下に人質として育ち、武田家ゆかりの武藤姓を与えられ、信任厚かった。
 天正三年の長篠の合戦で家督を継いだ長兄信綱と次兄昌輝が戦死したため、真田姓に復した。
天正六年、越後・甲斐の同盟成立により武田勝頼が東上野に侵入すると、昌幸も沼田城を攻略、
同八年には同地を占領して北上野を武田領とした。
同十年、武田氏滅亡後は織田氏に属し、本能寺の変後は北条・上杉・徳川氏と転々と帰属を変え、上野・信濃両国四郡を守り続けた。
同十二年、上田城を築いて本拠とし、
同十七年、豊臣秀吉の命により上野沼田城を北条氏に渡すが、翌年、北条氏の滅亡により回復した。
しかし、慶長五年の関ケ原の戦で西軍に味方したため所領は没収、東軍にあった長男信之の嘆願でかろうじて助命され、高野山麓の九度山に蟄居した。
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真田信之(さなだのぶゆき)

永禄9年(1566)~万治元年(1658
 昌幸の子で初名信幸。天正十年、駿府の徳川家康の許へ人質として送られる。
家康の部将本多忠勝の娘をめとり、文禄二年(1593)に沼田城主となる。慶長五年の関ケ原の戦では徳川方に属し、中山道を西上した徳川秀忠に従軍、石田三成方に与した父昌幸と弟幸村(信繁)が籠城抵抗する上田城を攻撃した。しかし落城させることができず、しかもこの城攻めに時日を要したために秀忠軍は関ケ原の戦にも遅れてしまった。
戦後、信之は父弟の命請いをして許された。翌年、父の去った上田城に入り、両度の大坂の陣にも出陣、元和八年(1622)、松代に移封され、高井、水内、埴科、更級四郡と沼田領を領した。明暦二年(1658)、隠居して松代領を嗣子信政に、沼田領を嫡孫信利に譲った。
 
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真田幸村(さなだゆきむら)

永禄十年(1567)~元和元年(1615
昌幸の次男、名は信繁。天正十三年(1585)に上杉景勝の人質となり、
同十五年には父が豊臣秀吉に臣従したのに伴い大坂城へ出仕。秀吉麾下の大谷吉継の娘をめとり、豊臣家との緑を深めた。
慶長五年(1600)の関ケ原の戦では父と共に西軍に与し上田城に籠城、徳川秀忠軍の西上をはばんだ。敗戦後、父と共に九度山に配流されたが、
同十九年の大坂冬の陣には招かれて大坂城に入り、外堀の天王寺口に出城
真田丸を築き縦横に奮戦。翌年の夏の陣でも家康本陣を脅かすなど勇戦したが、天王寺方面での松平忠直軍との激戦に討ち死に。
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真田丸について勉強

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真田丸について勉強
 教材 『真田一族のふるさと』信濃毎日新聞社刊 昭和60
著者 米山一政氏・金子万平氏・柴崎高揚氏著 一部加筆
 

幸村、作戦どおり快心の勝利

 関ケ原戦後、徳川家康は政権を掌握してしだいに統制を強めていく。慶長八年(一六〇三)には征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開設。十年に秀忠に将軍職をゆずり、以後は大御所として実権を握り続けた。
 徳川政権にとって最後まで目ざわりだったのが大坂の豊臣氏で、家康はつねに圧迫を続ける。そしてついに慶長十九年(一六一四)大坂方を挙兵に追いこみ、家康は十月一日諸大名に動員令を発した。ここに大坂冬の陣が始まったのである。
 大坂方では秀頼の名で、太閤恩顧の大名たちに味方になるよう書状を送るとともに、諸国の浪人を集めはじめた。大名たちは結局一人も応じなかったが、尾羽打ち枯らした浪人たちは続々と参集してきた。
 九度山の幸村のところへも使者が来て、厚遇をもって招いた。便者は黄金二百枚、銀三十貫を持参したという。幸村は家族や手兵をひきつれて、勇躍大坂城に入った。
 城内の兵力は十万とも十三万ともいう。しかし寄せ集めの人数では統率がとりにくく、しかも有能な武将が少ないため、思い切った作戦がとれない。

幸村はこれに業を煮やしたか、城の南方の外堀の外に「真田丸」という出丸を作り、守るという作戦に出た。

 関東方の兵力は二十万をこえたといわれるが、十一月中旬には城を攻囲してしまう。家康・秀忠も十七日に着陣、小競り合いを繰り返しながら包囲網をじりじりと縮めていった。家康は一方では城内へ講和の使者をたびたび出してゆさぶりをかけ、和戦両様の構えをとる。
 幸村が築いた真田丸は、一番攻撃の主力が注がれる場所だったので、小さな衝突が絶えなかった。
幸村はここに六千ほどの兵を置いて一歩も退かない。
 十二月四日には初めて本格的な戟関らしい戦闘が行なわれた。関東方の血気にはやる武将たちが、あせって攻撃を仕かけたのだという。四日早朝前田利常の先鋒が真田丸の塀際へとりつくと、松平忠直・井伊直孝らの将兵もー斉に攻め寄せる。しかし城壁や空堀に阻まれてモタモタしているところを、城内からの一斉射撃でバタバタ倒れ、死傷者続出。さらに真田大助のひきいる一隊が打って出て追い立てた。こうして、この日の戦聞は城方の勝利で終わった。
 しかしこの後は大した戦聞もなく、家康の講和交渉が続けられた。城内では秀頼の母・淀君が実権を握っており、優柔不断な論議が果てしなかった。しかし天守閣の千畳敷にまで弾丸がとびこんで、これにびっくりした淀君が講和に応じることにしたのだという。
 十二月十九日、ようやく講和が成立。二の丸三の丸を取り壊す事が条件であった。なお、家康は城内の武将に盛んに働きかけたが、幸村には特に執心したという。叔父にあたる真田信尹をさしむけて徳川方につくよう何度も説得したが、幸村は応じなかった。
真田幸村武者絵
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真田系譜
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大阪城 真田丸はここ
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甲斐武田信虎と長野善光寺

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大永3年(1523)
3・15
佐久郡大井貞隆、紀伊高野山蓮華定院を領内住民の宿坊と定める。津金寺衆徒は除外とする。
このころ
東信の諸領主が蓮華定院を宿坊と定め、使僧・順良らが巡回、日牌・朋牌を勧め謝金を集める。
6・5
高梨政盛家人の僧暁雲、三条西実隆を訪れ、一〇〇疋を献上、ついで『伊勢物語』の講義に出る。
6・10
甲斐の武田信虎、善光寺に参詣する。
 
大永4年(1524)
3・15
戸隠山顕光寺の義蔵坊栄快、九州の英彦山霊山寺大先達阿吸坊即伝から入峰印証をうける。
4・13
越後守護代長尾為景、北信経略の立願のため、諏訪上社に神鷹・神馬を奉納する。
長尾為景、高梨政頼を助けて北信の乱を鎮定し、越後に難を避けていた政頼を帰国させる。
 
大永5年(1525)
4・1
諏訪某(下社金刺昌春か)、武田信虎を頼り甲府におもむく。
 
大永6年(1526)
6・19
将軍足利義晴、甲斐の武田信虎を上洛させるため、この日関東管領上杉憲政・諏訪上社諏訪頼重・木曾氏らに、信虎との和解を命じる。
佐久郡慈寿寺光世庵主宗慈、岩村田鋳物師和泉守に鋳造させた鰐口を、同寺に奉納する
 
大永7年(1527)
6・3
佐久郡伴野貞慶、武田信虎に援軍を請う。この日信虎、貞慶と敵諸将の和睦成立で出陣をやめる。
7・8
武田信虎、また善光寺に参詣する。
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今年は僕の年です よろしく””

明けましておめでとうございます

笑う木 切り株

武田信玄の家臣屋敷 捜してみよう!真田弾正忠の屋敷 


『真田丸』は大阪城天王寺口に真田が築いた出城のこと

市町村合併は地名探索や表記には大きな妨げ 旧来のものが良い

忘れられた山本勘助 すぐ側に真田家の史蹟がある 真田林大鋒寺

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写真は勘助のテレビ放映頃

韮崎市偉人伝 小林七郎氏 

長野善光寺 松代藩真田家供養塔

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