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山口素堂 宗長庵記 板版 『宗長庵記』
『宗長庵記』連歌の達人舊庵宗長居士は、当嶋田の郷にして、父は五条義助、母なん、藤原氏なりける。若年の頃今川義元公につかへ、故ありてみづから髪を薙出、華洛にのぼり、種玉庵宗祇法師にま見え、連歌を学び、道既長じて宗祇の宗をうけつぎ、斯道の規範として猶歌仙に人丸赤人有がごとし。性行脚を好み、江山を友とし岩上樹下を家となして風月に宿る事いまさらいふに及ばず。記詞花言葉・新撰筑波集・北国の道之記及び宇津の山の...
View Article〇老中土浦城主、土屋但馬守数直卒 祖先は甲斐武田家臣
〇 四月二日 老中土浦城主、土屋但馬守数直卒、年七十二。 土星数直は、忠直が二男なり。元和五年西丸につけられて近仕し、寛永元年十二月叙爵、大和守にたり、五年総州にて五百石の地を賜ひ、九年十一月進物番、十八年七月五日、書院番組頭、慶安元年十月二十七日、小姓組番頭になり、但馬守に改め、承応五年元月十八日、...
View Article◎ 二十六日、四代将軍家綱の葬礼を行ふ。石蓋の銘は。人見友元之を書す。
◎ 二十六日、四代将軍家綱の葬礼を行ふ。石蓋の銘は。人見友元之を書す。 庚申五月五日 厳有公疾劇なり、継嗣未だ定まらず、館林宰相綱吉卿を召て養子とす。...
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