芭蕉発句 蓬莱に聞かばや伊勢の初便り 元禄七年
(『芭蕉句選年功』石河積翠園著 春の部 一部加筆)
発句集に元禄七年の句とする。
奥の細道に、春立てる霞の空に、関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂わせ、道祖神の招きあひて、取るもの手につかず、(下略)
蓬莱に聞かばや伊勢の初便り
元禄七年の『炭俵集』に、前書、立春、とあり
○篇突に許六曰く、何れの春にや不覚、とあり
○『去来抄』に深川よりの文に、此の句さまざま評有り、汝いかが聞侍るやとなり、去来曰く、
「都古郷の便ともあらず、伊勢と侍るは、元日の式の今様ならぬに、神代を思ひ出でて、便り開かばや、と道祖神の胸中を騒がし給ふかとこそ承り侍れ」と申す。先師返事に、伊勢の知る人訪れて便り嬉しき、と慈鎮和尚の詠み侍る便りの一字の出所にて、脚音の心に頼らず、汝が聞く清浄のうるはしき、神祇の神々しきあたりを、蓬莱に対して結びたるなり、汝が聞く所珍重なり。
〇十論為辨抄に、支考曰く、誰しも元旦に置くべきを、蓬莱そのあたりに書通の姿を寄せたらん。例の意を破れども姿を破らず、という句法なり、
○慈鎮和尚の歌に、此のたびは伊勢の知る人音づれて便り嬉しき花かうしかな、『拾玉和歌集』にも出たり
○『説業大全』に、便り聞かば伊勢の便りにこそ、他所の便りは何かせん、となり
〇按ずるに芭蕉の親友諸国にあり、他の便りは何かせんと思うべきや、蓬莱に興じて、ただ伊勢を思いだせる