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甲府城金蔵破り 『街道物語』甲州街道 三昧堂

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甲府城金蔵破り 『街道物語』甲州街道 三昧堂

天領甲府城の卸金蔵ともなれば、さぞかし警備も厳重なはずだが、いかに雪の夜とはいえ、あっさり破られて一千数百両もの大金が盗まれたのである。犯人は、領内の貧農であった。

雪の深夜の犯行

 絶え間なく降りしきる粉雪の中をゆく次郎兵衛の頭には、いまは金のことしかなかった。(せめて五十両、いや三十両でいい‥…)
 江戸中期の享保十九年(一七三四)も押し迫った十二月二十二日、鶴瀬の在に住む次郎兵衛の養父伝右衛門の家が全焼した。
 伝右衛門は、まだ物心もつかない次郎兵衛が、勝沼の街道沿いに捨てられていたのを拾いあげ、譬え水春百姓とはい、え、いまの巨摩郡の家に婿入りするまで育ててくれた恩人である。
(師走の雪の中を、これじゃ父っつあん一家は凍え死にしてしまう……)
 といって、いまの次郎兵衛には、十両はおろか、三両、五両の金さえもない。
(どうにかならないものか‥…)
 人っ子ひとり行き逢わない街道を、とぼとぼとたどる次郎兵衛の行く手に、やがて甲府城の丘が黒々と浮かんできた。
(もうお城か…‥)
 そう呟いたあと、ちらりと頭をかすめた考えの恐ろしさに、思わず首をすくめた。だが、一度浮かんだ閃きは、次郎兵衛の歩調に合わせるようにはっきりしはじめ、城の間近まできたときには、かなり具体的になっていた。

 城の御金蔵を破ろうというのである。

 次郎兵衛には、かつて仲間として城勤めした経験があった。記憶では、こうした雪の夜は、十数人いるはずの勤番の侍も、宵のうちから寒さしのぎの酒を呑み、決められた時刻の見回りもそこそこに、番所で雑談を交わしているはず
であった。
(俺は貧乏のままでいい。せめて父っつあんに三十両か五十両だけだ)
 腹を決めた次郎兵衛は、深夜までの時間を土蔵破りの道具を買うことと、景気づけに酒を呑むことと、さらにこまかく計画を練ることでつぶした。
 やがて五ツ(九時)を告げる鐘の音を合図に、次郎兵衛は居酒屋を出た。手には一升入りの貧乏徳利を下げている。外はひときわ吹き降りが強まり、町全体が死んだように静まっていた。
 思ったとおり城の警備もまた静かなものであった。片羽御門から城内に滑り込んだ次郎兵衛は、番士たちが寝しずまる真夜中までの時を、物影にひそみ、持参の酒をちびちび口に運んでいた。この徳利は、もし見とがめられたら、
「先年ご厄介になった仲間の次郎兵衛でございます。ちょうど通りかかりましたので、寒中お見舞いまで伺いました」
 と言って差しだし、そのまま帰ってしまうつもりであったが、どうやらその必要もなさそうであった。
 この夜甲府城内の追手番所には、与力の牧金右衛門を長に八人が詰めていたが、次郎兵衛の予想したとおり、炭火を囲んで雑談にふけり、御金蔵が破られたと知ったのは、夜来の雪がやみ、うそのような日本晴れを迎えた翌朝のこと
であった。

にわか商人になりすます

 盗まれた金額は小判三百九十三両三分、甲州金一千二十九両三分であった。物価指数からみて、いまなら軽く一億円をこえる金碩である。
夜勤番士たちは事の重大さに青ざめ、歯の根も合わぬ思いであった。
 犯人の次郎兵衛は、それだけの大金を持ち合わせていたワラの背負い袋に詰め、相変わらず降りつづく雪の中を、自宅のある巨摩郡高畑村までの一里を、誰にも見られずに帰りつき、その夜のうちに分散して隠してしまった。
 はじめは、せめて三十両か五十両と考えていた次郎兵衛であったが、いざ千両箱を目の前にしてみると、おなじ危険を冒した以上、三十両も千両も同じだし、養父だけでなく、自分も貧乏から逃れたいと考え直してしまうのが人情だろう。
 近くの神社で朝を迎えた次郎兵衛は、もう昨日までの始終おどおどした水飲み百姓ではなく、犯罪者特有の、開き直つた太々しさがひそむ男に変わっていた。だが、次郎兵衛は慎重であった。事の露見は金の使い方からと知って、まんじりともせずに今後の計画を練っていた。
 その日から次郎兵衛は、ことさらに今までどおりの日常を過ごす事に努め、折りをみてまず女房に言った。
「父っつあんの家も考えにゃならねえし、これからは暇を見てはせっせと商いに出ようと思うんだが」
 言葉どおり次郎兵衛はよく村を留守にした。といって、甲府在の片田舎の百姓がすぐ商人になれるわけはないし、そのへんを考えて、次郎兵衛の旅は二、三日か、長くても五、六日で帰ってきた。その度に隠して置いた金を少しづつ掘りだし、城下の両替商山形屋で小粒に替えては家に運んだ。
 そうした、忍耐強い次郎兵衛の生活が五年、七年と続いた。
 その間、奉行所も甲府勤番制はじまって以来の大事件とあって、やっきの捜査を続けたが、犯人の輪郭すら浮かんでこず、いつしか迷宮入りの形となり、当夜の番士たちもそれぞれの処分をうけてしまっていた。
 次郎兵衛は町へ出度にそうした噂を耳にし、一度などは、町の辻々に出された高札を眺めて観念したこともある。
 業を煮やした奉行所では、犯人の密告に対し賞金を用意し、しかも届け出が共犯者ならばその罪を許し、さらに報復されないよう保障する。とまで公示したのである。
「これでおしまいか」と次郎兵衛は目を瞑ったが、文面からは奉行所では共犯者が居ると云う事に気づき、それなら逆に、俺さえ注意していれば、ひょっとしたら隠しおおせるかもしれないと考えたのであった。
 以後次郎兵衛はより慎重に行動した。だが、いくら年数をかけて使っても、それが浪費でない限りは形に残ってしまう。養父の家を建て、自宅も改造し、田畑も買入れてしまった今日、それが七年、八年をかけてのことであっても、
周囲の人たちの印象はそうではない。
「次郎兵衛さんの羽振りのいいこと」
「旅商人というのは、あんなにもうかるものなのかね」
 おなじ水飲み百姓から、一人だけ抜け出てしまった次郎兵衛も対し、財産が増えれば増えるほど、人々の眼が集まるのは当然であった。

九年目に発覚

 ここで一人の密偵が登場する。甚助とだけで素性はわからないが、とにかく蛇のような執念深さでこの事件を追っていた。
 その甚助がある日、ふと思いついて高畑村へ足を伸ばしたのである。考えてみれば、この村は荒川に遮られてつい捜査の足を向けていなかったのであった。
(こいつはうかつだった)
 職業がら、なにかピンとくるものが為り、村に入った甚助だったが、予想どおり、その日のうちに次郎兵衛の成金ぶりを耳にした。
(八、九年前、水呑百姓だったのが、いまじゃ六、七人も下働きを使う、村で一、二を争っ大百姓になっているー)
 甚助の探索がはじまった。すると意外にも、次郎兵衛が城の仲間だったことが明らかになった。
(これは臭い)
 事件当時、城内の地理に明るい者の仕業という説もあって、過去の関係者を
シラミつぶしに調べたはずなのに、どういうわけか次郎兵衛だけが洩れていた。
ぬっとした、目立たない男だったせいかもしれないが、甚助は犯人に間違いな
いと確信した。
(なあに、これだけ探索して犯人がわからなかったのは、ヤツがそうだったからにちがいない)
 寛保二年(一七四二)三月十日の未明、次郎兵衛は連行された。
勤番頭の久留島出雲守と能勢印旛守が取調べにあたったが、次郎兵衛は自供しない。
 次郎兵衛にすれば、いまでいう物的証拠がなにもない。逆に白状すれば、養父や自分の家、広大な田畑すべてが証拠になってしまうのだから、決死の覚悟で口をつぐんだ。対抗上、番所では次郎兵衛を拷問にかけた。拷問はいかに江
戸時代といってもそうやたらにできるものではなく、手続き上は老中の許可が必要だった。甲府は幕府直轄領だったから、同様の手続きが必要だったろうが、とにかく、苛酷な取調べに対しても、次郎兵衛は自白しようとはしない。
町方同心の加島常右衛門は、これ以上次郎兵衛をいくら責めても無駄だ。最後の決め手は証拠の金しかない。だが事件から十年近くも経った現在、残っていないかもしれないし、もし幸い残っていたとしても、小金では、いまの次郎
兵衛の資産からみて証拠力が弱い。
 迷いはあったが、とにかく捜索してみることにした。その結果、自宅の庭からアワビの貝ガラに入れた小判二十七両、甲金四十七両が掘り出された。さっそくそれをつきつけたが、次郎兵衛は、かなり以前に無尽講であたったのを、
魔除けに埋めておいたのだと言い張った。
(ちがう。これはきっと、盗んだ金にちがいない)
そう確信した役人によって、次郎兵衛は眠らせない責めをうけた。朦朧とした意識の中に、かつての高札の文面と、少しでも罪を軽くしたい一心から、次郎兵衛は侍二人が主犯で、自分は手伝っただけだ、とだけ自白した。
 役人は色めき立った。ようやく事件解決の糸口だけはつかんだのである。その機をのがさずさらに厳しく追求すると、ついに次郎兵衛は犯行いっさいを自供した。
 この報告をうけた幕府からは、勘定奉行の目付阿部主計(かずえ)頭が江戸から飛んできた。それを待って自供した場所を掘ってみると、数カ所から小判や甲金が現れ、その数は小判百二十七両、甲金七百二十三両もあった。いかに次郎兵衛は用心ぶかく使っていたかがわかるが、これでようやく甲肝勤番の面目は立ったのである。
 判決は当然死刑である。六月十八日、次郎兵衛は市中引廻しのうえ、山崎の刑場で礫刑に処せられた。三十六歳であったという。
 関係者は、そうと知って両替していた山形屋はじめ七十余人がそれぞれ罰せられた。

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