武田信玄・織田信長 贈馬と献馬
武田信虎の馬
甲州ノ源府君武田信虎公、秘蔵ノ鹿葦毛ノ長八寸八分ニシテ其甲陽 肝、形例ハヘ昔「朝公ノ生 、摺ル墨ニモサノミオトラヌトテ、近国迄申ナラハセバ、鬼鹿毛トモ名付、嫡子(信玄)所望ナレドモ相違無ク進ゼラルベキ覚悟ニアラズ。云々
信玄の相馬法
贈馬・献馬
柳原兵部、良馬を献ずる。この馬嵐鹿毛を家康が室町将軍義輝に贈る。
献 永禄 四年 1561 献馬、三好義長進上、馬一匹。
信玄公より信長へ御馬十匹。信長御曹司城之介へ御馬十一匹。
参考 織田信長と贈馬と献馬
名将
第三長康(森蘭丸)忠孝世ニ知ル所、此三ツ勝レタル秘蔵ノ由常ニ言ハレシトゾ。
献馬
天正 三年 1575 10月19日
献馬、奥州伊達方より名馬ガンゼキ黒、白石鹿毛御馬二疋竝に鶴取之御 鷹二足進上、(略)比類なき駿 馬秘蔵是は龍の子なり。 信長公記(以下信長)
安東愛季、馬を信長に献ず。南部縫殿助献馬鷹於信長、自是毎年如斯、信長公喜毎年賜書刀、(以下略)
天正 七年 1579 4月
関東常陸国多賀谷修理亮朝宗、星河原毛ノ御馬云々
天正 七年 1579 7月16日
献馬、家康より坂井左衛門尉御使とし、御馬進上。 信長
天正 七年 1579 7月18日
献馬、出羽大宝寺より駿馬五ツ云々 信長
天正 七年 1579 10月29日
献馬、神保越中守黒芦毛御馬進上。 信長
献 天正 八年 1580 3月 1日
献馬、加藤彦左衛門、佐目毛御馬進上。信長
天正 八年 1580 3月29日
献馬、北条氏政より御鷹十三足、御馬五疋洛中本能寺にて進上。 信長
天正 八年 1580 閏3月10日
献馬、宇都宮貞林、御馬牽進上。 信長
天正 八年 1580 4月11日
献馬、神保越中守御馬二ツ進上。 信長
天正 九年 1581 3月12日
献馬、神保越中守御馬九ツ進上。 信長
天正 九年 1581 6月 5日
献馬、北条氏政御馬三ツ進上。 信長
天正 九年 1581 7月17日
贈馬、信長、岐阜中将信忠へ御秘蔵の雲雀毛御馬被参候。云々 信長
天正 九年 1581 7月20日
献馬、出羽大宝寺御馬進上。 信長
天正 九年 1581 8月 6日
献馬、会津の屋形モリタカ奥州の名馬を信長に進上する。 信長
天正 九年 1581 8月14日
贈馬、信長、御秘蔵御馬三疋、羽柴筑前カタへ被遣候。 信長
天正 九年 1581 10月29日
献馬、越中ヨリ黒部タチノ御馬當歳二歳ヲ初として十九疋、佐々内蔵介牽上進上也。信長
天正 九年 1581 11月 1日
献馬、関東下野国蜷川郷、長沼山城守名馬三ツ進上。 信長
豊臣秀吉