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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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〇徳川綱吉 柳沢廷御成り  験者圓海霽天 

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〇 験者圓海霽天
 元禄七年(1694)の冬、将軍家(綱吉)柳澤出羽守亭へ成らせらるべき御沙汰あり、しかるに出羽守のこと、小身と云い、ことに新家のことにて、よろず不都合の上、第一屋敷の分狭く、中々御成用意などの可整体にあらざれば、先の屋敷地を広くせんと、老臣に達して、北隣の渡辺越中守屋敷を所望して、南方屋敷を買い取り、暫く地取り出来せしかば、老臣よりもその筋々へ申し渡され、公儀御用同然に、夜に日に継いで、急造作はじめれば、諸家に伝え聞き当時の出頭柳沢へ御成の催しなれば、天下の諸侯我が一と助力する故に「御成御殿」を始め、碧樓金欄珠玉を鏤め、結構云ん方なく、不日営み上げる。
 さて御日柄は臘月(ロウゲツ 十二月)十五日と被仰せ出処に、十三日よりみぞれ雹(ヒョウ)交じりの小雨が降りしきり、翌十四日は大雨にて、中々降り止む気配がなく、酒掃の役員も暇を弄び、このままでは肝要の御日柄に御入輿も薄からんとて、湯島の雲洞方へ、晴天所の事を頼み遺しけるに、雲洞頃日所労にて引籠り居りける故、雲洞が友眞言新義派の僧知足院圓海、沖田達に居るを、雲洞吹擧して、此の祈りを頼ける此の圓海事は、元和州郡山の西北長曾根村庄屋彦右衛門と云者の二男にて、七歳の時より、西の京招提寺塔頭知足院と云う眞言律の弟子となり、新義派を修め、初瀬に学問し、論議の事について初瀬を去て東武に出で、神田辺に住む、他に聞えたる活僧にて、湯島の雲洞と両輪の如く、江戸中に評判して、大名旗本の所願を専ら修しけるが、柳沢よりの使者な得て答けるは、當月は癸丑の月十五日は癸丑の日也、月日の干支極陰に當れば、雨更に不可霽(さい【晴れな】)、但し吾が密印を以せば、晴天に成さん事掌の内に在り、若し、成就しなば、其の酬いとして、将軍家の御祈願を我に蒙らしめ給いなんやと、即使者帰りて保明へこれを述べる、保明承諾して、事成就すれば、是を執すると答える、圓海是を聞き及び、則両国橋の上の方西川端に厳重な壇桟敷を構え、大衆を集めて、金光明勝王経を読ませ、圓海は壇上に登り、丹精を懲して祈りければ篠をつくが如くなる大雨、不思議や十五日の午の刻前より降り止みて、暫くの内に霽(晴)天と成りしぞ奇特なる。

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