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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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素堂と芭蕉の俳諧

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素堂と芭蕉の俳諧

 この項とは直接の関係はないが、素堂のように多種多芸でその一つ一つの達成度の高い人物はそう居る訳ではなく、かの芭蕉も及びもつかなかった。素堂と芭蕉の並列する時代から素堂の生き方に憧憬の念を持つ俳人は多く見られ芭蕉没後はどっと素堂の周辺に集まって来た。素堂の俳諧姿勢を目標とした雁山や馬光、それに晩年の嵐雪や桃隣、杉風や洒堂までも生き方は素堂を求め、俳諧は時代の要請から芭蕉を目指すようになり、芭蕉の俳諧の底流である素堂の俳論は見過ごされて時代と共に薄れていったのである。しかしその時代を代表する与謝蕪村や小林一茶も素堂の発句を手本にしていた節があり、与謝蕪村の句集にはそれが如実に表れている。また素堂の『仮名口決』を大切に保持していた小林一茶は晩年の素堂像に重なる部分も見られるのである。
 素堂没後の俳諧の流れを掻い摘んで述べてみた。まだこの項で書きたいことが山ほどあるが、今回はこの位で筆を休め、次回にはもう少し素堂俳論と人物像について言及してみるつもりである。

平成17年12月1日。清水記。

山梨文学講座 山口素堂       新資料  素堂母の喜寿の宴
 
 
 
 素堂の動向
 
元禄    5年 壬申  1692 51才
七月七日、素堂の母、喜寿の宴。
(『韻塞』入集。李由編。序奥は元禄九年冬、刊行は元禄十年)
               
      
素堂の母、七十あまり七としの秋、七月七日にことぶきする。
万葉七種をもて題とす。
これにつらなる者七人、
此結縁にふれて、各また七叟のよはひにならはむ。
 萩
七株の萩の手本や星の秋              芭蕉
尾花
織女に老の花ある尾花かな               嵐蘭
葛花
布に煮て余りをさかふ葛の花             沾徳
なでしこ
動きなき岩撫子や星の床              曾良
女郎花
けふ星の賀にあふ花や女郎花             杉風
ふぢばかま
蘭の香にはなひ侍らん星の妻             其角
 
むかし此日家隆卿、七そじなゝのと詠じ給ふは、みずから
を祝ふなるべし。
今我母のよはのあひにあふ事をことぶきて、
猶九そじあまり九つの重陽をも、かさねまほしく、おもふ事しかなり。
あさがほ
めでたさや星の一夜もあさがほも 素堂
 
李由
 寛文二年(1662)生、~宝永二年(1705)歿。
年四十四才。本名河野通賢。近江国 平田村 の真宗光明遍照寺第十四世住職。蕉門。
許六の盟友として、この書等を共著。
海棠や初瀬の千部の真盛り       〈『篇突』〉
 
《註》
 この喜寿の宴には、菊本直次郎氏所蔵芭蕉真蹟の一幅(阿部正美氏著『芭蕉伝記考説、行実編』紹介)や、今栄蔵氏の『芭蕉年譜大成』にも記載があるが一部異なる箇所がある。
 今回は『日本俳書大系』所収『韻塞』と芭蕉真蹟一幅による。
 《註》
素堂の母は元禄八年夏に突然死去する。素堂の家系で、母の没年については元禄三年説があるが、母の死は元禄八年であり、素堂の妻の死は元禄七年の事である。素堂は妻を娶らずとの説もあるが、一考を要する。又素堂の家系と甲斐府中山口屋市右衛門の家系を直接結ぶ資料は見えない。
 
 

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