山口素堂消息『連俳睦百韻』佐々木来雪編。(佐々木一徳の来雪庵三世素堂襲名記念集)安永8年 1779
<註>
素堂の家系について触れている。それによると、素堂の鼻祖は織田信長・豊臣秀吉の家臣の蒲生氏郷の家臣、山口勘助で有る時期に町屋に下る。とあり『甲斐国志』の甲斐の北巨摩郡教来石村字山口の出身とする記述と大きく異なる。
又、素堂の嫡孫山口素安の確認も出来て、『甲斐国志』の記述とこれも異なる。 素堂
「寿像感得の記」山口素堂消息『連俳睦百韻』佐々木来雪編。(佐々木一徳の来雪庵三世素堂襲名記念集)安永8年1779
此翁は、寛永十九年正月四日に誕じて、享保八月十五日寿七十有五にして終りをとれり。今も按ずるに、其の一周に当りて摂陽の茶瓢先師の恩恵を仰ぎ慕ひ熙心より生涯菊を友とし、無絃を愛し、園中に集める草庵の幽趣を捜写して、百世の筺とは成したるなるらん。両士の考心軟ずるに余り有りと言ふべし。
素堂……寿像の裏書
摂陽ノ隠士酒堂東都之大隠素堂之恩□(ママ)ヲ慕ヒ同志茶瓢ト寿像を製し畢ル享保二年酉八月也