工芸に関する
一、単行本
『朝鮮の勝』(昭和四年東京丸の内有楽館工政会刊行。民芸叢書第三編)
『朝鮮陶磁名考』(昭和六年九月東京丸の内有菜館工政会刊行)
二、雑誌
「窯跡廻りの一日」(大正十一年九月号『白樺』李朝陶磁紹介号掲載)
大正十一年一月、柳宗悦らと冠岳山の窯跡を調査したときの紀行文。
「窯跡めぐりの族を終えて」(大正十四年四月号五月号『アトリエ』に連載)
大正十三年末から十四年正月にかけて兄伯教や小森忍・中尾万三らと鶏竜山・康津等の窯跡調査をしたときの記録を柳宗悦宛の手紙の形式で書いたもの。
「分院窯跡考」
(昭和二年十二月号『大調和』に掲載。分院窯跡考証)
「朝鮮の棚と軍司塀に就いて」
(昭和五年二月号『帝国工芸』朝鮮工芸特集号に掲載)
「朝鮮茶碗」
(昭和六年五月号『工芸』に掲載。これが浅川巧の絶筆となった)
「朝鮮窯業振興に関する意見」
(昭和六年七月号『工芸』に掲載。柳宗悦の推定によれば、大正十五年から昭和二年頃に執筆されたもので、巧の死後、河井寛次郎の所で発見された)
「金海」
(昭和九年三月号『工芸』浅川巧追悼号に発表されたもの。金海の窯跡を調査したときの紀行文。末尾に三月十六日とあるが、何年かは不明)
この他、未発表の日記の一部に、窯跡調査の紀行文「北漢山一周」・水落山」があったというが今は散逸してしまっているという。
その他の著作
「朝鮮の漬物」
(昭和九年三月号『工芸』洩川巧追悼号に掲載)
「自動車」創作
(二〇〇字詰原稿用紙二二枚。三月二日と日付けあり、年号不明)
「崇」創作
(四〇〇字詰原稿用紙一七枚。大正十二年十二月三十日)
「雷山小過」創作
(四〇〇字詰原稿用紙七四枚。大正十三年二月二十二日)
以上、創作の三編はいずれも未発表のものである。
(『工芸』第四十号 浅川 巧追悼号 昭和九年三月発行による)