丑の刻詣り 山高 北杜市武川町 口碑・伝説
『武川村誌』一部加筆
山高の豪族山高氏が、武田信玄に従い信濃の河中嶋合戦に参加したころ、出陣するときには、まず村内から穀を徴発して兵糧の用意をした。
そして氏神、唐土大明神の境内で徴発した穀でお粥を煮て神に供え、また将士も共に食べて武運長久を祈った。さらに握り飯を作って兵糧として戦に臨んだ。ちょうどその時刻が丑の刻であったという。
このことが、三もとになって、後世秋のお祭りには「丑の刻詣り」ということが行われる。このときは、戦国時代と同じように、村内から集めた穀で、昔のお粥と握り飯をまねて、甘酒と握り飯をつくる。祭りの夜は丑の刻に、神官がきて祭礼をし、この時刻に参詣をした者には、甘酒と握り飯を振る舞うということがある。
また、当日は夜半より氏神さんの庭に、かがり火をたき、大鍋をつるし、湯をわかし、この湯でみんな目を洗い清め、一年中、眼病にかからぬよう祈願したものである(北巨摩教育会編)。