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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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北杜市の偉人 山田水穂(大泉町)の歌碑

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山田水穂の歌碑

『甲州の文学碑』奥山正則氏著 一部加筆
 
大泉村の西井出にある
 耕志廼業怠る郡家乃子ら山田尓み膿流秋乎わ寸麗ね 
七十八曳浩謹書
 この歌碑は北巨摩郡大泉村西井出四五七九、山田薫氏(大泉村長)の屋敷内に建てられている。路面に「水穂翁遺訓」、裏面に
「昭和二十二年十二月三十日、祖父の命日、孫山田穣建之」と刻まれている。
たがやしのぎょうおこたるないえのこら やまだにみのるあきをわすれね
と読む。
 「大泉村の文学碑めぐり」に「この歌碑は西井出東原、水穂の生家の宅地内で県道端に建てられている。この歌碑と並んで、教え子有志多数により明治二十八年五月に建立された寿詞の碑文の中にも水穂の次の歌が刻まれている。
月花をめづる暇もさす竹の君のみめぐみ夢な忘れぞ 水穂
文政三年(一八二〇)四月十五日生まれ、明治三十三年(一九〇〇)十二月三十日歿)は、幼時より学を好み、長じて堀秀成の門に入り、皇学を研讃し学業成って郷里に帰り家塾を開いた。子弟の教化、頗る懇切であり、幾多の人材を輩出した。
浩は西井出中村出身で、北海道選出の代議士、浅川浩である。山田穣は大泉村長、県会議員などを歴任した。と出ている。
 水穂翁について、山田薫氏(穠嗣子)から貴重な書信と、次のコピーをいただく。
*「大泉村誌概説」(小池信繁)に
「山田瑞穂は東原の農家の生まれ(中略)その教化の期間は安政元 年より明治初年まで約十五年間である。明治七年井出学校の創設せらるるや同校の初代校長となって事績を挙げた(後略)」と話されている。
*「大泉村の史蹟名称と功労者の事績」(小池信繁)には、「教育家、山田水穂」の詳細な記述をしている。
 さてわが国は神代の昔から「豊葦原の瑞穂の国」(古事記)とも言われてきたが、水穂翁は「この農を、尊い勤労の精神を子々孫々まで怠るな」と家訓に残されたのであろう。
 

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