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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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 富士の白雪にからまる伝説

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 富士の白雪にからまる伝説
 富士の抜穴が、所甜人穴以外に信ぜられた伝説は富士の白雪の解けて地下水となり、三島の落ちて冷水泉と湧き出ずる伝説である。俗謡に
   富士の白雪や
   朝日で解ける
   解けて流れて三島へ落ちて
   三島女郎衆の化粧水
というのがある。ところが、古く「山家鳥虫歌」の記録には、
   やまな白雪
   朝日で解ける
   とけて流れて三島へ落ちて
   三島女郎衆のけしょう水
 となっている。そこで、原唄に「やまな」と歌われているものは、実際は、簡単に、「山な」と、何々を指してともない抽象の字句であったらしいが、或は「山な」は箱根山ではないかと言っている。ところが、後世には、いつの間にやら、富士の白雪として歌っているので、その方が一般的になってしまった。
 或人の説には、
「富士の白雪は、解けて流れて三島へ落ちない。むしろ黄瀬川へ流るるのが地理に合致している。こうなると、三島女郎衆の化粧水とならないで、却って、黄瀬川宿の遊女連に用いられなければならなくなる。」と。
 黄瀬川宿は、中古時代の遊所の一で、溜浄と三島の間に介在し、今は、草に埋るる僻地となっているが、その頃は黄瀬川と狩野川の落合にあった小都会で、「曽我物語」に名を知らるる亀鶴のいたのもこの地で、
 「即ちこの黄瀬川こそ、富士の白雪朝日で解けて、解けて流るると形容されても、あえて不審ではない川であったれば、従って古の近所黄瀬川こそ、三島女郎衆の化粧水と歌われた俗謠の根源地であるように見える。」という者もあるけれども、俗謠の行われたのは徳川時代の事で、当時又、遊所は、黄瀬川より三島の盛大を来した町代でもあったようであるから、俗謠の意とするところは、全く三島女郎衆を謠ったので、地理の実際は、「高士山の積雪融解して地底を滑り、ここに洩出する。」(「豆州志稿」)と言われる小浜の泉(三島町の北小浜にある)及び其東北にある菰の池の水の、三島女郎衆の化粧水となったのを指したものであったらしい。
 菰の池にはその伝説があって、池底より滾々として湧く泉こそ、富士の白雪の解けて地底を流れ、ここに湧出するものだと古く信じられていたということである。
 この他に、富士の雪についての伝説は、「駿河風土記」に、「富士の山には、雪の降りつもりであるが、六月十五日に、その雪の消えて、子の時よりしもには、又ふりかわる」とあるぐらいなものである。

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