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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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壇浦戦(だんのうらのたたかい)と神剣

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壇浦戦(だんのうらのたたかい)と神剣
 東堀一郎氏著『話のタネになる本』昭和49年刊 光文書院 一部加筆
 
 寿永四年三月二十四日の壇裏の海戦で平家は滅亡しますが、その時御年八歳の安徳天皇を抱きまいらせた平清盛の妻時子(二位尼)は、三種の神器の神璽と模造の神剣を持って海底の都へ行くと天皇をいつわって共に入水しました。神璽は木の箱にはいっていたので浮び、源氏の軍兵が救い上げましたが、神剣は沈んだまま不明で、何人もの海人(アマ)が探したが見つかりません。神鏡は唐櫃に入れて御座船の中に賢所をしつらえて奉安してあり、そこへ源氏の軍兵が踏 みこんで唐櫃のフタを開けようとしたとき眼がくらんでしまった。急を聞いた平大納言時忠がかけつけて軍兵を追い払ったが、時忠は捕虜になり、神璽と神鏡は無事都以後宮中では神剣の代りに天皇が清涼殿で用いられる昼御座剣をもって代用せられました。その後鎌倉時代になって順徳天皇の御即位の頃、伊勢の皇大神宮の神庫にある宝剣が、神のお告げによって献上されて、これが神剣となり、昼御座剣はもとの役目にもどりました。
 献上された神剣は順徳天皇記に「普通の蒔絵なり」とありますので、鞘に蒔絵の模様のある剣と推定されます。
 模造の神剣で御難にあったように、本物の神剣草薙剣(クサナギノツルギ)も、一度盗み出されたことがありました。天智天皇の七年に新羅の僧道行が、熱田神官へ忍び入って盗み出し、新羅へ持ち帰ろうとしたところ、途中大暴風雨にあい、捕えられ神剣は無事もどり道行は処刑されました。草薙剣は勅封ですから見られずその形はわかりませんが、多分青銅器時代の出土品の剣と同じょうな束頭の丸い直刀の銅剣と推定されています。

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