太平洋の初横断物語
『対話の秘訣 はなしのタネになる本』東堀一郎氏編 光文書院 一部加筆
太平洋は世界で一番大きな海ですが、それを日本船で初横断したのは伊達政宗(仙台藩六十二万石)の遣欧使節の帆船です。これは慶長十八年(一六二二年)にスペインを初めヨーロッパ諸国と通商を求める目的で、支倉常長(ハセクラツネナガ 四十二才)を正使とする八十余名の使節団は太平洋を横断してメキシコヘ上陸し、陸路大西洋側へ出て、スペインの軍艦で渡欧しているのです。この帆船は伊達藩が幕府の船大工の支援を得て港内から船材を切り出して建造したもので、長さは約三三メートル(十八間)、船横一〇メートル(五間半)、高さ二六メートル(十四間一尺五寸)と記録されていますから、可成りの大船であることがわかります。この船で使節団は慶長十八年十月牡鹿那の月ノ浦を出帆して八十九日架かってメキシコのアカプルコ湾に着いています。使節団の上陸後船はそのまま停泊して、一六一八年帰途のとき再び使節団を乗せてルソン(フィリピン)へ寄り一六二〇年に八年ぶりで帰国しているのです。
次はそれから二百年後の幕末の万延元年(一八六〇年)一月、幕府の軍艦威臨丸(カンリンマル)で、これは英国で造られた蒸気船です。
このときは日米修好条約の批准書交換のための、近代国家としての最初の外交使節の派遣でもあります。
品川からサンフランシスコへの横断日数は、荒天がつづいたため、ハワイ寄港を入れて四十七日もかかっています。
第三番目は、昭和三十七年八月、堀江謙一青年の、パスポートを持たない、違法渡航の一人乗り小型ヨットの太平洋初横断の成功であります。独りぼっちの冒険航行で、大阪を出発してから九十三日日、無事サンフランシスコに到着いたしました。
『対話の秘訣 はなしのタネになる本』東堀一郎氏編 光文書院 一部加筆
太平洋は世界で一番大きな海ですが、それを日本船で初横断したのは伊達政宗(仙台藩六十二万石)の遣欧使節の帆船です。これは慶長十八年(一六二二年)にスペインを初めヨーロッパ諸国と通商を求める目的で、支倉常長(ハセクラツネナガ 四十二才)を正使とする八十余名の使節団は太平洋を横断してメキシコヘ上陸し、陸路大西洋側へ出て、スペインの軍艦で渡欧しているのです。この帆船は伊達藩が幕府の船大工の支援を得て港内から船材を切り出して建造したもので、長さは約三三メートル(十八間)、船横一〇メートル(五間半)、高さ二六メートル(十四間一尺五寸)と記録されていますから、可成りの大船であることがわかります。この船で使節団は慶長十八年十月牡鹿那の月ノ浦を出帆して八十九日架かってメキシコのアカプルコ湾に着いています。使節団の上陸後船はそのまま停泊して、一六一八年帰途のとき再び使節団を乗せてルソン(フィリピン)へ寄り一六二〇年に八年ぶりで帰国しているのです。
次はそれから二百年後の幕末の万延元年(一八六〇年)一月、幕府の軍艦威臨丸(カンリンマル)で、これは英国で造られた蒸気船です。
このときは日米修好条約の批准書交換のための、近代国家としての最初の外交使節の派遣でもあります。
品川からサンフランシスコへの横断日数は、荒天がつづいたため、ハワイ寄港を入れて四十七日もかかっています。
第三番目は、昭和三十七年八月、堀江謙一青年の、パスポートを持たない、違法渡航の一人乗り小型ヨットの太平洋初横断の成功であります。独りぼっちの冒険航行で、大阪を出発してから九十三日日、無事サンフランシスコに到着いたしました。