馬場美濃守の末裔と称する人たち(長篠記念館・丸山彭氏覚え)
一、越後国南蒲原郡一ノ木戸 馬場庄右衛門信彦氏(明治 八年当時)
一、静岡県追手町六番地 馬場晟山氏(明治十九年当時)
一、越後国南蒲原郡一ノ木戸 馬場正吉氏(明治二十三年当時)
一、越後国三条一ノ木戸 善性寺住職福田見励氏(明治二十七年当時)
一、愛知県 馬場市松氏(明治三十二年当時)
一、新潟県三条町一ノ木 馬場正一氏(明治日時不詳 )
一、商船学校教諭 馬場信倫氏(〃 )
一、東京市京橋区魚岸四日市 馬場伊之助氏(明治四十年当時)
一、東京都下長崎町並木 馬場教三郎氏(昭和 四年当時)
一、浜松市板屋町119番地 馬場志ん氏(〃 )
一、甲府市桜町 馬場ほの氏(昭和 十年当時)
一、白須自元寺住職 山崎秀雄氏同行( )
一、千葉県市川市菅野 馬場教三郎氏(昭和十四年当時)
一、東京都杉並区天沼 馬場信広氏(昭和十五年当時)
一、東京都杉並区天沼 馬場信美氏(昭和十六年当時)
一、東京都杉並区天沼 馬場信明氏(昭和十七年当時)
一、愛知県設楽郡国民学校地陸軍病院 姓名不詳(昭和二十年当時)
医少尉が居た。(田口福田寺住職談)
一、東京都目黒区碑文谷 大澄恒七氏(昭和二十六年当時)
一、東京都中央区日本橋 馬場信彦氏(昭和三十三年当時)
一、東京都品川区上大崎 梅原美男氏(昭和三十九年当時)
一、神奈川県逗子 馬場信氏(〃 )
一、東京都杉並区西田町荻窪 馬場信幸氏(〃 )
一、長野県松代 馬場政信氏(昭和四十年当時)
一、大阪市東成区今里本町 馬場与平氏(昭和四十一年当時)
一、新潟県三条市一ノ木 馬場由太郎氏(〃 )
一、神戸市兵庫区長尾町 馬場信雄氏(〃 )
一、豊橋市二川町 馬場氏の末裔あり(昭和四十二年当時)
一、大宮市天沼町 馬場信一氏(昭和四十三年当時)
一、東京都深川三好町 馬場辰雄氏 兄弟(〃 )
一、神奈川県鎌倉市 馬場三都雄氏(〃 )
一、東京都杉並区成宗 馬場友義氏(昭和四十四年当時)
一、兵庫県三田市 馬場茂弘氏(〃 )
一、静岡市北安東 馬場 清氏(〃 )
一、山梨県北巨摩郡高根町 植松正邦氏(昭和四十五年当時)
一、長野市松代町 馬場政矩氏(〃 )
一、神奈川県藤沢市 馬場良夫氏(〃 )
一、相模原市上鶴間 馬場信明氏(〃 )
一、東京都調布市 馬場信美氏(〃 )
一、静岡県新居町 馬場信雄氏(〃 )
筆註…
この資料は長篠城址史跡保存館の館長丸山彭氏が『甲州の名将 馬場美濃守信房公とその子孫』(昭和四十八年刊行)を編集するにあたり調査した記録の一部である。
馬場氏を名乗り馬場信房を祖先とする人たちはこの他にも日本全国に多く在住していると思われる。四国から出てアメリカで活躍してフィデルフィアに墓のある馬場辰猪は、武田家滅亡後落浪した馬場信房の一族は土佐の国の落ち着き、数代を経て馬場源右衛門氏信の代に山内家に仕え子息馬場氏興の時代には二百石の禄高となったと云う。又同町出身とされる松尾芭蕉の先生として有名な山口素堂の後の時代に江戸俳壇で活躍した江戸座の馬場存義も馬場美濃守の末裔と伝記に見える。
白州の白須地域でも織田信長の侵攻に備えて「馬場姓」を「原姓」に替えたと云う話も伝わる。又白砂山自元寺にも時折馬場信房に所縁のある人が訪れている。