馬場信房 自元寺 二十六世大仙秀雄大和尚談
馬場信房の石塔は始め寺僧の墓と並んでいた。区画整理の都合で馬場祖三郎家に接して建てられた。
馬場ほの氏の夫、祖三郎氏は養子で、白須から甲府市に移り開狭楼(かいこうろう)という料亭を営んで居られたが、今はその子孫が東京の武蔵野市に住んで居られる同家の白須の屋敷は広大で、当時の菅原村が買い取ったこの屋敷に大欅と大きな石祠とがあって、その前に五輪塔があった。馬場家から、大欅と五輪塔は動かさずに保存してほしいと申し込んであったが、祖三郎・ほの両氏が他界された後は、五輪塔は郷社八幡神社の裏に写された。このままでは馬場祖三郎家の五輪塔かわからなくなるので、当主に説いて、自元寺の現在位置に移した。
筆註…
この開狭楼の土地は現在の白州町診療所のある一帯で国道を挟んで存在する。土地の持ち主は分散している。又少し離れた場所に若宮八幡神社の神主石田備前のかっての屋敷地がある。国道が通る前は現在の白須上公民館の付近も石田備前の屋敷地であった。当時の石田備前の勢力は大きく、白州一帯や小淵沢の神社の神官であった。 自元寺と深い関係にあった人々に白須一族がいる。現在はその殆どが富士吉田地方に移住されている。