岡谷衆川中島へ出陣 七人が信玄の感状受領
西堀杜史氏著
この西堀氏の紹介、武田信玄感状の中に、馬場美濃守が奉行した書状が二通ある。その一部は上記書状である。
2、小松筑後守宛書状
今度河中島合戦の砌、敵陣を走廻候条、
神妙の働き、依功、国光太刀一振、
給之者也。
法性院徳栄軒
武田晴信 武田竜丸朱印
奉行
馬場美濃守 奉之
永禄四年辛酉年八月 日
竜丸朱印
小松筑後守どの
文書にある山田備後守は名を盛忠、幼名小太郎、成長して備後守となり、後に備前守となる。永禄年中武田氏方の諏訪五十騎の列に入る。
小松筑後守は武田の家臣高島十人衆の一人。菩提寺は 諏訪市 湖和田、教念寺。