山梨県の歴史 明治元年(1868)
『山梨郷土史年表』山梨県郷土史研究会編 昭和56年刊
*2.3皇太后官少進高松実村家司小沢雅楽助ら,いわゆる高松隊甲府に入る。
*3・4官軍中山道先鋒監軍西尾遠江之助が因土両藩兵を率いて入峡
*3・東山道総督参謀板垣退助ら甲府城に入る
*3・6幕軍近藤勇らおよそ170人官軍と柏尾に戦い敗走
*03・11巨摩郡小尾修理垣之進ら同志の神主浪人をもって断金隊を組織。
*3.12東海道副総督参謀海江田武次甲府に入り国事を代行する。
*3・22東海道副総裁柳原前光入峡して職制を定める。
甲府城代に沼津藩水野出羽守、甲府町奉行に中山誠一郎任命する。
*4 幕府軍林昌之介らの攻撃隊200人黒駒に屯集する。
*5・2市川大門町の蘭医村松岳佑歿(62)
*5・6-国鎮撫として柳原前光入峡。
*5.22甲府町奉行を廃し新た町並支配を置く。
*6.1鎮撫府を置き柳原前光を鎮撫使とする,甲府城代水野出羽守免職。
*6・24武田浪人59名護国隊を結成する。
*6・29若尾逸平、風間伊七等要種紙生糸肝煎四人、合計千両を献金する。
*6巨摩郡医師総代浅尾新田村小野泉ら7人,甲府郡局へ病院建築の議を上申する。
同11月にも再願する。
7.2甲府柳町の俳人嵐外十哲の布能文谷没。
7.6徽典館開講。
8.2甲府,市川,石和の三郡代官を改め三部知事とする。
8.15富士浅間神社神職46人隆武隊を結成する。
10・8生糸蚕種肝煎のうち若尾逸平,風間伊七等三名、甲府差配より名主格を授けられる。11・5鎮撫使を廃し甲斐府として滋野井公寿を知府事とする。
11・12三部知県事を廃し郡政局を置く。
11・20甲府郭内追手通りに国学館を開設し,国中の有志に学事研究を行わせる(明治2.3.20国学館を微典館に合併)
三部郡政局に管地合高259,626石563合,此反別弧30,109町6反6畝。