韮崎市 坂井遺跡
藪の湯みはらしから30分
個人の手で発掘された唯一の遺跡
新府城跡から県道を韮崎方面へ15分ばかり、穏やかな農村風景の道を歩いていくと、韮崎市藤井町坂井という
部落に着く。ここが『坂井遺跡』の名で知られる坂井の部落である。
坂井遺跡は、今は故人となった志村滝蔵氏によって発見され、戦後、郷土研究会の後援により発掘・調査された遺跡である。この遺跡は志村氏の個人の尽力によって世に紹介され、発掘された遺物は志村邸の土蔵に展示さ
れ、公開されている。
現在、県内では、行政面での発掘調査が多く行なわれているが、坂井遺跡は、県内では、個人の手で発掘、保存されている唯一の遺跡なのである。
さて、坂井遺跡では、縄文時代中期を中心に、縄文前期、弥生時代の住居址が、約20カ所にもわたり発見され
た。その一部は、志村邸近くの桑園に復元、保存されている。
同遺跡から発掘された遺物は、坂井考古館に展示されているが、その中心をなすのは土器類であり、完成品はない。
速い遠い祖先をみる
坂井遺跡の名を有名にしたのは、顔面把手の土器の出土である。この顔面把手の土器は、山梨県や長野県に多く出土しているが、その出土状況から、単なる装飾品ではなく、信仰上の意義をもったものではないかとの説もある。土器にある素朴な表情はどこか原始人を思わせるのだが、坂井遺跡から出土する土偶にも同じ表情の顔がみられる。
坂井遺跡がある標高500メートルほどの台地は、原始人たちの生活には格好の地だったのであろう。雄大な南アルプス、八ヶ岳を仰ぐ台地で、ひたすら原始人の生活を思いながら、その全生涯をかけて発掘を続けた志村滝蔵氏は、顔面把手に、遠い、遠い祖先をみたのだろうか。
なお、坂井考古館は、現在では、滝蔵氏の長男である富三氏によって管理されている。案内を乞うと、滝蔵氏の夫人と思われる老婦人が説明してくれた。滝蔵氏とともに五十余年間、考古学と農作業にいそしんでこられた老婦人の話を聞き、遺跡を個人で発掘し、管理することの労苦を思わずにはいられなかった。(昭和58年)