素堂と伊藤信徳〔いとうしんとく〕
生年・:寛永十年(1633) 歿年・:元禄十一年(1689) 年六十六才。
本姓山田氏か。京都の裕福な商家に生まれ若年から俳諧に親しみ、梅翁(西山宗因)に師事、季吟・貞室・西武らの知遇を得る。家業で江戸と京都を往来し、江戸談林派に近づき延宝五年 (1677)素堂三十六才の冬から翌年春にかけて信章(素堂)・桃青(芭蕉)の『江戸三吟』を興行する。
素堂と信徳の関係は俳諧だけでなく個人的に親しく素堂の編んだ『とくとくの句合』の五番の句、
ふんぎって都の花にくだりけり 素堂
判に
五文字(ふんぎって)におほくの心をこめて、云々、洛陽の信徳やゝもすれば此の句といひ出しけると也。判者(素堂自判)も又信徳がこゝろをこゝろとす。とある。素堂周辺の資料が少なく言及出来ないが、素堂が京都に若年遊学中からの交流があった可能性もある。