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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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武田神社 武田法牲宮

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武田神社 武田法牲宮
『武田神社の収蔵品』「武田神社の創建」児島勇氏著
 
 通称天主閣といわれる土壇の中央東寄りに石の祠1基が南向きに建てられている。この祠の建てられたことを示す文字が石両の東・西・北の壁面に彫られている。北面には「再建、武田法性宮」と2行に、東壁には「天明辛丑五月吉辰、別当□□(愛宕)カ、□□□=惣)カ、代」と3行に彫られ、23行目は故意に文字を消した痕跡がみえ判読不明である。西面は「古府中日影村中」である。この祠は、天明元年(17815月、武田神社裏手の古府中日影村の人たちが資金を調達、「武田法性宮」を再建お祀りした。
「再建」とあることから、天明期以前の祠の存在を知ることができる。『甲斐国志』に、「居館ノ跡ナリ、松樹草荊ノ間石面四五尺以上ナル者数枚アリ、仮山ノ迹卜見エタリ法性大明神ノ小祠ヲ置ク」と記され、ここでは小祠を法性大明神とよんでいるが、「武田法性宮」と同一のものと思われる。その所在は館跡の中曲輪、於樹の茂る仮山の跡とみえる荊の中に置かれた。と記述されている。
 現在天主閣上に鎮座する「武田法性宮」は大正6年(1917)武田神社創建(地鎮祭)のため取り除かれ、現在地に遷座された。今の武田神社の祖型、濫觴である。

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