躑躅の館(現、武田神社)
『武田神社の収蔵品』「武田神社の創建」児島勇氏著
武田氏館跡は、昭和13年(1938)5月30日、国の史跡に指定された。館は相川扇状地の扇央に位置し、南に甲府盆地が開け、前方西側に揚村山、東に大笠山・夢見山など、鳥が巽を広げたように張り出し、後方北部は帯那山系の深い山をひかえた天然の要害となっている。
館の東方から西へせり出した丘陵を邸燭が崎とよび、館はこの名をとって躑躅が崎館とよんだ。この館を中心とした府中の街づくりは、南北に4条の大路を開き、東西に数条の小路を設け、武田家臣団の屋敷を配置し、甲府の城下町を形成した。
『高白斎記』の、永正16年(1519)の項に「八月十五日新府中御鍬立テ初ム。同十六日信虎公卿見分。同十二月廿日庚辰信虎公府中江御屋移り。」と伝え、武田信虎公が館を構築、永正16年12月20日、石和から躑躅が崎館に移った。甲府の開創であり、以来63年間、武田信虎公・信玄公・勝頼公3代の居館となった。
『甲斐国志』は、館の遺構を「凡ソ東西古五十六間、南北百六間、土堤高サ壱丈許リ、四方に墼アリ、門四所ノ区域ヲ別チテ三郭トス」と述べている。
館の内郭は周囲に高さ3~6メートルの土塁と幅広い堀をめぐらせ、東曲輪・中曲輪、堀をへだてて西曲輪の3郭に分かれ、ほぼ完全な姿を今に伝えている。この3郭の北側に北曲輪、南に梅翁曲輪を付設した複郭型式がとられていた。堀の水は日影組の北方御所堰から相川の水を引き入れた。