甲府の能成寺にある松尾芭蕉の句碑
「甲州の文学碑」奥山正則氏著
名月や池をめぐりて夜もすがら 芭蕉
この句碑は甲府市東光寺町、定林山能成寺(樋口顕竜住職)の参道左側に建てられている。碑には
「名月や池遠をめく里天夜毛可羅 はせ於」
と刻まれ、裏面に「蕉門七世 鱗々庵道載。漢詩(略)。天保十二年庚秋九月」とある。参道右側に「宿竜池」石碑があり、芭蕉の句碑と向き合っている。
仲秋のころ、能成寺を訪ね、先代未亡人樋口汎子(現住母堂)、一之宮和幸(寺院親族、石和中教諭)さんに貴重な話を伺う。
○「甲斐源氏と武田氏」(野沢公次郎著)に「芭蕉が能成寺に足を留め」と出ている。
O「徽典会、14号」(山梨大学教育学部)で佐藤八郎氏が「能成寺碑、天保十四年建」について述べているが、この建碑に関係した浅野長祚、友野瑍が既に能成寺の詩文をものし、撫草庵寛雲の「津久井日記」にも、寛雲が天保九年に能成寺を訪れた俳文を載せている。かく文人墨客が能成寺の水月楼に引かれて訪れているのをみると、芭蕉の句碑が門人によって天保十二年に建てられた由来も解るような気がする。
○宿竜池の碑は昔から今の位置にあり、戦前までは 広く水を湛え、蓮の花が咲いていた。前記「津久井日記」には、「碑のうしろに臥竜橋が続いた」としるしている。
さて、この句は芭蕉庵の月見の作で、「続虚栗」や「雑詠集」には「池をめぐって」とあるが、邑蕉の真蹟や多くの集には「めぐりて」とあるので、これに従いたい。句意は
「こよいはまさに仲秋の名月、その月光が池水に映える回りを、夜もすがら歩きながら、しみじみ月を賞でたことである」
であろう。
芭蕉は甲斐を二回訪れているので、恐らく初狩か谷村に滞在中か、あるいは野ざらし紀行の帰途、酒折宮、善光寺などを見て、この能成寺にも立ち寄って、宿竜池の月も見たかも知れぬ。