明野村の伝説 子守地蔵
ふるさと明野をつづるシリーズ『わが里のむかしことば』
第五巻 方言・伝説・民話
茅ヶ岳の裾に「女沢」という窪地があります。「女沢」なんて何となく変った地名ですが、そこに、室町時代の後期(一五〇〇年代)、武田信玄の時代栄えていたお寺がありました。この場所は大変山奥のため、戦乱の心配もなく立派な僧の人達が物静かに毎日修業に励んでおりました。
しかし、やがて年月もすぎるとこの寺も日毎に衰滅して、ただ石の地蔵さんばかりが物淋しく建っておりました。
この事を知った小笠原の村人達は、何とかして石の地蔵さんを里まで運んでこようという事に決めましたが、運搬には大勢の人々の汗と努力で一ケ月もかかって、漸く小笠原の福性院まで運びました。
その後、お地蔵さんは、この村人達の並々ならぬ苦心を大変お喜びになって、夜泣きして困る子供のある人が、この地蔵さんに参詣すれば、直ぐに泣き止む様にしてくれました。村人達は誰いうとなく「子守地蔵」と名づけ、現在でも福性院の前に建っているこの地蔵さんに参詣すれば、子供の夜泣きはただちに止んだという事である。(明野村誌より)