$ 0 0 甲斐の名所旧跡甲斐國志巻之三十八 従五位下伊予守 松平定能編輯 古蹟の部 山梨郡万力筋〔夢山〕躑躅埼屋形述の東南に在り東は東光寺、西は大泉寺の山林なり、南は二本松、長禅寺山へ績き、北は大笠山に連なり、茶堂越と云う古昔の官道あり、北は積翠寺村、板垣村の御林山なり。題しらず(夫木集に云う、夢山甲斐) 讃人しらす さに歌枕名寄 都人おほつなしやゆめ山を みるかひありて行かへるらん東国陣道記に夢の山宗壽さしきより見えれば 細川玄旨法印 頼むその名とはしらすや旅まくら さそひてかへる(すイ)夢の山風夢山春曙 享保中勅旨八景 中院前大納言通躬卿きのふまてめなれし雲は夢の山 ゆめとそ霞む春の曙 題しらす 東光寺住僧(闕名)苔ころもかへさて寝屋のおきふしに 見る夢山はうつゝなりけり 源正紀 本州柴宮神主春秋のうつらふまゝに夢の山 おとろきあえぬ木枯の風夢山 物茂卿 号荻生徂徠 松平吉里?(吉保)儒臣誰把華胥國裡山。移来城北傍雲間。箇中若得逍遥枕。應有路従三島還。 田省 字省吾 松平吉里?(吉保)儒臣 城北放眸諸岳間。就中此處最幽閑。道人大夢醒来久。尋勝不妨間夢山。 徂徠の峡中紀行に夢山者僧疎石所咏、為蜘蝶之栩々乎家山也、後泰雲使君.一日凱旋所由、假寝山上 則曾(曾我)五郎托夢為其子、是為機山、土人游者、採石若草木葉、帰真諸枕、亦往々獲佳夢云トアリ按ズルニ夢窓ノ歌今得テ記スル者ナシ惜ムベシ泰雲(武田信虎、機山ハ信玄ナリ曾我五郎ノ再誕卜云事(野人ノ雑談固ヨリ採ルニ足ラズ、甲陽隨筆等ノ稗史ニモ或僧富士ノ裾野ニテ仮寝シケルニ曾我五郎托夢シテ鐫龍ノ目貫半片ヲ授クトアリ夢山ノ事ハ管ハフザル趣ナリ。