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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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馬飼の成立と騎馬の開始 馬の伝承について

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馬飼の成立と騎馬の開始 馬の伝承について
(『馬』森浩一氏編 社会思想社)馬を換えた話
 
 かつて小林行雄氏は、日本古代の乗馬の風習を論ずるためには、いちおう記紀の記載において、馬がどのように取り扱われているかということを無視することができぬとされて、まず『日本書紀』の各所にみえる馬に関する記事を、巻別に数えあげて、前掲第二表を作成された。             
 小林行雄氏は、この表にもとづかれて、『日本書紀』三十巻のうち、最初の十巻のなかの馬に関する記事の多くは神話・伝承であって信じられないが、ただ一つ、当時の日本に馬の存在したことを立証しうるにたる記載は、応神天皇十五年八月紀の百済王が阿直伎を遣わして良馬二匹を貢し、馬の飼養を管掌させた記事であって、それが百済からの貢献によって、はじめてわが国に乗馬があらわれたとみるにたる記事でもあることを指摘された。また十一巻の仁徳天皇紀以下の馬に関する記事にも、にわかに信じられない記載があるにしても、允恭天皇二年二月紀にみえる馬の記事、すなわち馬に乗ったまま籬にのぞんで忍坂大中姫を嘲った闘鶴国造が、忍坂大中姫が皇后になってから罪せられた話、また同五年七月紀にみえる馬の記事、すなわち殯宮大夫の職務をなおざりにして酒宴を開いていたのを尾狼連吾襲に見られた玉田宿禰が、事が問題になるのを恐れて馬一匹を吾襲に授けて礼幣とした話などは、もはや日本において、馬が貴重ではあっても珍稀なものでなくなっていた当時の状態をほぼ実際に即して伝えているものであろうと思われるとされて、小林氏は、五世紀の前葉には日本で馬が飼育され、乗馬の風習が存在したことは、文献のうえから認めて誤りはないと論じられている。
 小林氏もふれておられるように、馬飼部を品部のB型に入れられた非上光貞氏は、馬飼部は河内国をはじめ各地に設置され、馬飼造に統率されており、各地の馬飼造をさらに統轄する上級の首長が見当らないのは、A型の品部とはちがって、中央の官司に隷属していたからであって、その成立は五世紀の前半よりも前ではあるまいといわれている。
 日本における騎馬の開始と、馬飼の成立の時期は五世紀の前葉以降であったと考えてよいであろう。『日本書紀』における馬に関する伝承記事も、小林氏が考察されたように、それを物語っていることは間違いない。

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