馬場美濃守と『地頭慶長郷村帳』
義直卿 慶長八年(1603)卯正月受封於本州云々…『地頭慶長郷村帳』
馬場民部(四百石)。
真田隠岐守信尹(三千石・馬場美野守の男の女婿)
馬場美濃守と甲府城番
城番 慶長十二年(1607)義利卿国替ノ後、武河逸見在住ノ諸士交代シテ衛之。馬場民部。
馬場美濃守と白須家
白須某(白須家は馬場氏以前より白須一帯を支配する。現在白須家は郡内富士吉田に移住する)
馬場美濃守と『甲斐国志』七澤作左衛門の項
青木ハ武川衆白須ノ黨ナリ。
因ニ云、或説ニ其頃武川ニ白須某ト云者アリ。身貧ニシテ刀モ今ハ賣代カヘ常ニ府ニ出デ此處彼處ニ寄食セリ。或時其方ノ人々三四人白須氏を誘ヒ京師ニ遊相人アリ。白須氏ヲ視テ駭キテ云、足下蚤ク本国ニ帰ルベシ。三十日ヲ過ズ必ス大ナル幸アラン。近頃如斯ナル富貴ノ相ヲ視ズ。違フコトアラハ僕又人ヲ相セスト人々敢テ信ゼス。笑ヒテ止ミヌ既ニシテ國ニ帰ル。程ナク江戸ヨリ召ス人アリテ使来リテ催シケレハ人、々旅装ヲ繕ヒ江戸ヨリ赴カシメテ今年ヲ歴タレハ其事慥ナラストナン。
義直卿 慶長八年(1603)卯正月受封於本州云々…『地頭慶長郷村帳』
馬場民部(四百石)。
真田隠岐守信尹(三千石・馬場美野守の男の女婿)
馬場美濃守と甲府城番
城番 慶長十二年(1607)義利卿国替ノ後、武河逸見在住ノ諸士交代シテ衛之。馬場民部。
馬場美濃守と白須家
白須某(白須家は馬場氏以前より白須一帯を支配する。現在白須家は郡内富士吉田に移住する)
馬場美濃守と『甲斐国志』七澤作左衛門の項
青木ハ武川衆白須ノ黨ナリ。
因ニ云、或説ニ其頃武川ニ白須某ト云者アリ。身貧ニシテ刀モ今ハ賣代カヘ常ニ府ニ出デ此處彼處ニ寄食セリ。或時其方ノ人々三四人白須氏を誘ヒ京師ニ遊相人アリ。白須氏ヲ視テ駭キテ云、足下蚤ク本国ニ帰ルベシ。三十日ヲ過ズ必ス大ナル幸アラン。近頃如斯ナル富貴ノ相ヲ視ズ。違フコトアラハ僕又人ヲ相セスト人々敢テ信ゼス。笑ヒテ止ミヌ既ニシテ國ニ帰ル。程ナク江戸ヨリ召ス人アリテ使来リテ催シケレハ人、々旅装ヲ繕ヒ江戸ヨリ赴カシメテ今年ヲ歴タレハ其事慥ナラストナン。