Quantcast
Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3088

甲斐源氏と谷戸城 山梨県北杜市

$
0
0
甲斐源氏と谷戸城
資料『大泉村誌』「第三編大泉村の歴史」第一節 甲斐源氏の勃興と谷戸城 他 一部加筆。
 
谷戸城は古城跡として山頂部の中郭部(一の郭)をはじめ中腹の東西両郭(二、三の郭)、更に土塁などの遺構が存在しており、往時を偲ばせるものがある。
『甲斐国志』古跡の部「谷戸ノ城跡」には、次の記述がある。
「山ノ高サ数十丈、北ハ八ガ岳ノ麓ツヅキ、東ニ泉川流レ、西ニ町屋トテ人戸アリ。南ヲ城ノ腰ト云フ。山足ヲスベテ城下ト唱へ御所村ト呼ベリ。本丸方五、六十歩、ニノ丸・三ノ丸曲折アリ。溝塁粗々存ス。逸見郷ノ中ニ最モ高キ処ニテ数里ヲ下視スベシ。遠ク望メバ茶臼ノ形ニ似タリトテ茶臼山トも名ヅク。スベテ城跡ヲ茶臼山ト呼ブコト諸州トモニ多シ、土中ヨリ兵器・鉄具等ヲ獲ル事アリ(中略)古伝ニ逸見源太清光、此ノ城ニテ建久六年六月ヨリ病ミ、正治元年六月十九日逝ス。乃チ城内ノ鎮守八幡宮へ配祀シ開源明神ト号ス(後略)
この谷戸城は村指定の史跡となっているので、更に詳細に紹介しておくことが必要と思われるので、やや長文になるが、参考となる『日本城郭大系』(新人物往来社刊)より城郭の実測を引用しておきたい。

『日本城郭大系』

山頂にある中郭部は東西三〇メートル、南北四〇メートルほどの三角形に近い形態をもち、周囲に高さ二メートルから○.五メートルの土塁を有している。この土塁の外側には、また土塁があり、東西にふくらんで、それぞれ東西に郭を形成している。東側の郭(二の郭)は東西三〇メートル、南北六〇メートルほどあるが、土塁に沿って帯状の窪地がある。
土塁(b)もこの付近では高くなっている。また、西側の郭(三の郭)は幅一五メートルほどの帯状の平坦地であり、二の郭が一の郭と同じ高さであるのに対し、この三の郭は一段下がっている。土塁の北側には土塁が並行して存在するが、その外側には東西四〇メートル、南北五〇メートルほどの平坦地があり、ここに四の郭を想定できる。さらに土塁の東側一段下がった所に幅五メートルほどの平垣部(腰郭)が土塁との間から延びてきている。この腰郭の東南には、東西二五メートル、南北二五メートルほどの平坦部(五の郭)がある。城山の南斜面には、数段の帯郭があり、なかでも中ほどにある帯郭は東南端から南斜面をめぐって西斜面を取り巻いている。西斜面には幅二~三メートルの帯郭が三段連なり、その下の西南端には一〇メートル四方の平垣部がある。城山の西麓に「町屋」という字名をもつ所があるが、これも郭と考えられる。ここに数戸の人家があるが、西側の西衣川沿いには土塁も残っている。城山の北麓、四の郭の北には一段下がって空堀と土塁がある。東麓には、幅一〇メートル、高さ一メートルほどの北側から続くと思われる帯状の遺構がある。この遺構から内側は窪地となり、窪地を越えると四の郭へ登る道が北へ回りながら上っている。城山の南東端で、五の郭の下に小さな堅堀とも考えられる溝が斜面を下がっている。外郭施設として、町屋の南から北へ上がる堀、城山の西に突き出た尾根を切断する堀なども想定できる。谷戸城のある山頂からの周囲の眺望はパノラマ状に展開されており、東に朝日山砦・源太ケ城、南に深草館・新府域が見え、遠く甲府盆地までも一望にできる。しかも背後には雄大な八ケ岳連峰が東西になだらかな裾野を大きく広げており、天王山、観音平の蜂火台を望むことができる。
イメージ 1
 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3088

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>