大永3年(1523)
3・15
佐久郡大井貞隆、紀伊高野山蓮華定院を領内住民の宿坊と定める。津金寺衆徒は除外とする。
このころ
東信の諸領主が蓮華定院を宿坊と定め、使僧・順良らが巡回、日牌・朋牌を勧め謝金を集める。
6・5
高梨政盛家人の僧暁雲、三条西実隆を訪れ、一〇〇疋を献上、ついで『伊勢物語』の講義に出る。
6・10
甲斐の武田信虎、善光寺に参詣する。
大永4年(1524)
3・15
戸隠山顕光寺の義蔵坊栄快、九州の英彦山霊山寺大先達阿吸坊即伝から入峰印証をうける。
4・13
越後守護代長尾為景、北信経略の立願のため、諏訪上社に神鷹・神馬を奉納する。
長尾為景、高梨政頼を助けて北信の乱を鎮定し、越後に難を避けていた政頼を帰国させる。
大永5年(1525)
4・1
諏訪某(下社金刺昌春か)、武田信虎を頼り甲府におもむく。
大永6年(1526)
6・19
将軍足利義晴、甲斐の武田信虎を上洛させるため、この日関東管領上杉憲政・諏訪上社諏訪頼重・木曾氏らに、信虎との和解を命じる。
佐久郡慈寿寺光世庵主宗慈、岩村田鋳物師和泉守に鋳造させた鰐口を、同寺に奉納する
大永7年(1527)
6・3
佐久郡伴野貞慶、武田信虎に援軍を請う。この日信虎、貞慶と敵諸将の和睦成立で出陣をやめる。
7・8
武田信虎、また善光寺に参詣する。