雁山は幼い頃は甲府から京都に出て入山していたようで、素堂も京都には頻繁の出かけていて、素堂への移住への思慕を表わした句文もあり、晩年は京都で越年することも度々あった。『通天橋』は京都臨済宗東福寺にある橋の名称であり、嘉禎2年(1236)に藤原道長が創建し、禅宗の一派の寺院で唐の普化禅師を祖とし、建長6年(1254)に東福寺の法燈国師覚心が普化宗を宗より伝えたという。東福寺大本山として江戸時代には幕府から普化宗の総支配寺とされた。この東福寺に元禄年間に通天橋が建立された。今日では紅葉の名所として有名になったが、通天橋の本来の意味は、現世を虚無とする道程を示すもので、解脱することにより完遂すると説き、これにより天への架け橋を渡れるとしたものである。素堂も上京の砌には立ち寄りあるいは請われて宿坊とし使用したのかも知れない。なお素堂は日蓮宗を深く理解し、母没年の元禄八年の夏には深草の元政の故事に憧れ甲斐身延山久遠寺に詣でている。
素堂は谷中の感応寺(現在の天王寺)に葬られたが、その後雁山により他の寺へ移葬されている。
甲府市にある墓は別家のもの。