▽『野晒紀行』素堂跋(濁子本)
こがねは人の求めなれど、
求むれハ心静ならず。
色は人のこのむ物から、
このめば身をあやまつ。
たゞ、心の友とかたりなぐさむよりたのしきハなし。
こゝに隠士あり、
其名を芭蕉とよぶ。
はせをはおのれをしるの友にして、
十暑市中に風月をかたり、
三霜江上の幽居を訪ふ。
いにし秋のころ、
ふるさとのふるきをたづねんと、草庵を出ぬ。
したしきかぎりハ、これを送り猶葎をとふ人もありけり。
何となく芝ふく風も哀なり 杉風
他ハもらしつ。此句秋なるや冬なるや。
作者もしらず、唯おもふ事のふかきならん。
予も又朝かほのあした、夕露のゆふべまたずしもあらず
。霜結び雲とくれて、年もうつりぬ。
いつか花に茶の羽織見ん。
閑人の市をなさん物を、
林間の小車久してまたずと温公の心をおもひ出しや。
五月待ころに帰りぬ。
かへれば先吟行のふくろをたゝく。
たゝけば一つのたまものを得たり。
そも野ざらしの風は一歩百里のおもひをいだくや。
富士川の捨子ハ其親にあらずして天をなくや。
なく子は獨リなるを往来いくはく人の仁の端をかみる。
猿を聞人に一等の悲しミをくはえて今猶三聲のなミだだりぬ。
次のさよの中山の夢は千歳の松枝とゞまれる哉。
西行の命こゝにあらん。
猶ふるさとのあはれは身にせまりて、
他はいはゞあさからん。
誠や伯牙のこゝろざし流水にあれば、
其曲流るゝごとしと、
我に鐘期が耳なしといへども、
翁の心、とくくの水うつせば句もまた、とくくしたゝる。
翁の心きぬたにあれば、うたぬ砧のひゞきを傳ふ。
昔白氏をなかせしは茶賣が妻のしらべならずや。
坊が妻の砧ハいかにて打てなぐさめしぞや。
れは江のほとり、これはふもとの坊、地をかゆともまたしからん。
美濃や尾張のや伊勢のや、狂句木枯の竹斎、
よく鞁うつて人の心を舞しむ。
其吟を聞て其さかひに坐するに同じ。
詞皆蘭とかうばしく、山吹と清し。
しかなる趣は秋しべの花に似たり。
其牡丹ならざるハ、隠士の句なれば也。
風の芭蕉、我荷葉ともにやぶれに近し、
しばらくとゞまるものゝ形見草にも、
よしなし草にも、ならばなりぬべきのミにして書ぬ。