☆山口素堂と京都《廣澤の池》
京都市右京区嵯峨広沢在、上嵯峨の地になるが嵯峨と御室の仁和寺の中ほどにある。元禄四年刊行の「句奏別五百韻」に
いづれゆかん蓮の実持て広沢へ
(『真木柱集』・元禄十年刊行前書きなし)
前書きに、すみ所を宮古にと聞えければ、我あらましも嵯峨のあたりに侍れど、かの池に蓮のなき事をうらみ申ス、とあり。『とくとくの句合』に
「小野川洛陽に住所を求とて登りける頃、予も又其心ざしなきにしもあらず、稿本『とくとくの句合」は
『小野川立吟住所求むとて洛陽におもむきけるに、やつがれも其志なきにしもあらねバ』
とあり、共に
蓮の実よとても飛なら広沢へ
と改めている。『真木住』は挙堂が素堂の句作法を紹介したもので、二句目のは後に改作したものであろう。この句は立吟が京都に移住するについての「句餞別」で白身も京都に移るなら嵯峨の広沢辺りにしたい、だが広沢には蓮が無いから蓮の実を持っていづれ行こうと云う願望の句である。
同じいざよひに広沢にあそびて
我舞て我にみせけり月夜かな 『素堂句集』