☆山口素堂と京都《御手洗川(鴨川・鳴滝)》
京都府下賀茂神社の前を流れる川で、参拝者が手洗口濯ぎなど潔斎して身を清める所。今出川(賀茂川)と高野川があるが、常識的には賀茂川であろう。尚、みだらしはみとらしで貴人の弓に対する敬称でもある。
元禄十一年二月刊、『寄生』(やどりぎ)佳聚亭編。
加茂川に遊びて
御手洗や半ハ流るゝ年忘れ 素堂
橋立や景過もせず霧のひま 素堂
素堂は夏から秋にかけて京都に留まる。芭蕉の塚に詣でて手向草二句を供え(『続有磯海』)又鳴滝に茸狩りを催して句三章を得る(『橋南』)。
元禄十一年『橋南』入集。
戊寅の秋洛陽に遊ひ、一日鳴滝の茸狩して両袖にいたきて帰りぬ。
其片袖は都の主人にあたへ、大津の浦の一隠士安世のかたへ此三唱を添て送るならし。
其一 椎茸や見付ぬさきのおもしろさ 素堂
其二 松茸やひとつ見付し闇の星 素堂
其三 袖の香やきのふつかひし松の露 素堂
尚この年京都で「寄生(やどりぎ)集」が上梓され、この句と「橋立や景過」の句が人業している。同業の序に大淀三千風が「寅のきさらぎのころ」と奥を付けていることから、十一年以前の作との説もあるが、素堂の上洛は元禄三年秋から冬以後十一年夏から秋しか無いと思われるから、条件が合うのはこの年である。この業の三千風の序は如月に書かれた徊へ撰者の佳茶亭の編集が三千風の序の奥付より遅れてなされたらしい。また板行刊行が遅れて補填されたと思われる。良くある事ではある。同年の「泊船集」にも入集し「糺にて」の前書きがあり、「糺」は下賀茂を差し、その南の森を「糺の森」と云い、この森に鎮座する神を「糺の神」と云っている。古来よりほととぎすや納涼で知られる。